新年の祈り
新年ですね。今年もよろしくお願いいたします。
東日本大震災や栄村大震災の被災地の
かたの苦悩を思うと手放しでは喜べません。
被災県の岩手県の詩人、童話作家である宮沢賢治に
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という
言葉があります。これが、西田哲学と似ているのです。
「おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」
(農民芸術概論綱要、1926年、宮沢賢治)
「直観」という言葉が出てきます。この言葉は、通常の意味、常識的な意味とは違っています。
自分が宇宙、世界と一致している見方です。西田哲学の直観と似ています。
西田幾多郎の「善の研究」が出版されたのは、1911年です。西田幾多郎の著書は次々と発刊されていきます。「直観」の特殊な意味、類似しています。
賢治は西田幾多郎の著書を読んだのでしょうね。
賢治の思想は西田哲学と類似するところが多いです。
西田哲学における直観の意味は、哲学的思索が深まっていくにつれて、直観の意味も変化していき
ます(西田哲学の研究者によれば)。直観は「自己のうちに自己を見る」ことです。「自己は自己の
内に他を見る」ともなります。中期においては、自覚とは「自己の内に自己を映す」こととなり、後
期になると自覚とは「自己の内に他を映すこと」と言われます。
自覚は「映す」ことであり、直観は「見る」(他を自と見る)ことです。自己は「創造的世界の創
造的要素」ということもあり、結局、直観は、自己が世界であり、世界が自己であることとなります
。直観は、自己(の心の内奥の場所)において他(他者、汝、世界)を自己と見ることになります。
祈り
日本人は、1年に1回、大部分の人が「祈る人」になります。神社、寺院に初詣して祈ります。
「(自分が)幸福になりますように」
「(自分が)病気にならないように」
「(自分の)病気が治りますように」
少し広い世界を自分のことと見る人は、こう祈ります。
「(自分と家族が)幸福になりますように」
「(自分と家族が)病気にならないように」
「(自分と家族の)病気が治りますように」
宮沢賢治は、こうです。
賢治の心は世界ぜんたいが自己のようです。
「銀河系を自分の中に意識して生きていく」「自分は宇宙の中の乗物の一員です」とも言います。(西田哲学の「自己は創造的世界の創造的要素」と同じですね)
「ほんとうのさいわい」を求めて「どこまでもどこまでもいっしょにいこう」。
「銀河鉄道の夜」は、西田哲学の実践を提案しているようにも見えます。
西田哲学では「世界」というところを賢治は「宇宙」「銀河系」といいますが、同じでしょう。
西田哲学と宮沢賢治の共通性の研究があるのでしょうか。興味あるテーマです。
マインドフルネス心理療法は、西田哲学、宮沢賢治とも似ています。苦悩を心の場所にそのまま(あるがまま)映して冷静に見て、不幸にならない行動を選択していく・・・。
私も東北地方のことが心の中に映り見えて幸福とは思えません。「東北地方の方が
救われますように」「東北方面にいけますように」祈りです。