PTSD(心的外傷後ストレス障害)目次

PTSD、トラウマの神経生理学的特徴とマインドフルネス心理療法

 PTSD(心的外傷後ストレス障害)も薬物療法だけでは完治しない人がいる。いくつかの脳神経領域に変調があって薬物療法が効果がない人や心理的な柔軟性に問題があって治りにくい人がいる。そこで、さらに新しい心理療法を試みるのであるが、神経生理学的な特徴を理解しておくことは治療方針や動機づけに役立つ。

<第1>PTSD患者の前部帯状回、海馬、前頭前野に特徴

 「PTSDの中心的な病態仮説は、内側前頭皮質(前部帯状回を含む)の機能不全のため、扁桃体の活性を制御できず、恐怖条件付けの過形成・消去不全が起こるというものである。」(笠井ら,2006,44頁)。

 PTSDの患者には前部帯状回(内側前頭前野)、海馬、前頭前野の体積の減少がみられる。
 「表8.5は、PTSD患者の脳局所体積の研究をメタ解析したKarlら(2006)の主な知見をまとめたものである。未成年と成人で異なるところもあるが、簡略化すれば、これらの知見のうち、海馬、前部帯状回、前頭前野の3つの部位の体積の小ささがとくに注目されてきたものである。
 海馬と前頭前野はエピソード記憶と意味記憶の符号化と検索に携わっていることから、その体積減少は陳述記憶システムの相対的劣性を生じやすい基盤となる。PTSD患者に認められた記憶と前頭葉機能に関する障害の多くもこれに関連しているものと解釈できる。 また、前部帯状回は扁桃体を調節することによる条件付けの消去に関与しているので、その体積減少はいったん恐怖体験によって条件付けられた反応を容易に消去できない基盤となる。」(西川,2008,213頁)
 海馬や前頭前野の体積減少がフラッシュバックをひきおこしている可能性がある。
 「フラッシュバックにおいては視覚・嗅覚・体性感覚・感情・聴覚などの各様式の記憶内容が統合されずに現われ、外傷時に断片化されて印象された感覚情報を再統合することは困難であることが示唆される。」(西川,2008,201頁)
 海馬の容積減少は、PTSDの発症前からあった可能性が示唆される研究があるが、外傷ストレスによってひきおこされた可能性も否定できない。

 情動記憶システムは外的刺激の情動的価値(有害/無害)に関する情報を習得・貯蔵する潜在的記憶過程である。このシステムでは扁桃体が中心的な役割をになっている(加藤,2008,208頁)。陳述記憶システムは、記憶内容が意識に上る記憶システムで海馬が中心的な役割を果たしている(西川,2008,210頁)。記憶の符号化(登録のこと)は海馬がにない、検索、想起は前頭前野背外側部がになっている。
 前頭前野は選択的注意にも関わりがある。外傷体験、恐怖に関わる言葉、刺激に注意をひきつけられて課題を実行するのが遅れることが観察されている。 「PTSDの患者においては情動を喚起する語の再生の頻度が高い」 「こうした注意のバイアスが前頭前野の機能に関わる選択的注意の障害を背景として現われている可能性が推測される。」(西川,2008,206頁)
 PTSDの患者は、外傷体験に関連した刺激や類似した刺激にことさら注意をひきつけられる特徴が生じている。選択的注意の障害がある。
 「@外傷体験に関連した刺激による注意のバイアスは、一方でその刺激の記憶を強化し、もう一方で情報の処理資源を占有することにより認知の処理に妨害的に干渉する。
Aこの作用は検査場面での短い時間スケールにおいても、生活上の長い時間のスケールにおいても患者の認知活動に影響を及ぼし、次第に患者の認知全体を否定的なものに歪めて」しまう。
Bこの注意のバイアスは、おそらく前頭前野の機能に関わる選択的注意の障害を基礎とするものである。」(西川,2008,208頁)

表8.5 PTSDの脳体積研究の主な所見
1、PTSDが重症であるほど海馬が小さい。
2、未成年のPTSD患者では海馬は健常者と変わらない。
3、PTSD患者では左の扁桃体が小さい。
4、PTSD患者では前部帯状回が小さい。
5、未成年のPTSD患者では前頭前野あるいは前頭葉が小さい。
6、未成年のPTSD患者では脳梁が小さい。
7、尾状核の体積には変化がない。
(参考書) (笠井ら,2006)「PTSDの生物学」笠井清登、山末英典(「こころの科学129号」日本評論社,2006)
(西川,2008)「PTSDと解離性障害にみる記憶と自己の多重性」西川隆(大阪府立大学総合リハビリテーション学部)(「精神の脳科学」加藤忠史編、東京大学出版会、2008)。

<第2>前部帯状回がトラウマの消去に重要な役割

 PTSDは恐怖体験が条件づけられている。全く同じ体験ではないにもかかわらず、ちょっとした刺激でも恐怖体験がフラッシュバックする。違う環境になるのに、恐怖体験が再現される。似た刺激と発作的な恐怖体験の再現の連鎖が解消されない。予期不安を起こし、恐怖が再現されると推測するもの、場所、行動に結び付けて回避する。
 恐怖条件づけられた刺激と反応の関係を解消する役割は前部帯状回がになう。PSTD患者の前部帯状回の容積が小さくなっていることから、この消去機能が働かないことが症状の維持にかかわっていると推測される。

 「前部帯状回は扁桃体を調節することによって条件付けの消去に関与しているので、その体積減少はいったん恐怖体験によって条件付けられた反応を容易に消去できない基盤となる。」(西川,2008,213頁)

 「こうした情動の条件付けは手続き記憶と同じく潜在的な過程であり、恐怖の条件反応の固定には小脳虫部が関わると考えられている。いったん条件付けられた反応を調整する装置は前部帯状回に備わっている。この領野は、扁桃体からの情報により情動を感受して刺激に選択的注意を向けさせ、一方、同じ刺激が無害であることが反復されれば、先に形成されている有害刺激による条件付けを消去する役割を担っている。」(西川,2008,209頁)

<第3>恐怖条件づけ解消に前部帯状回

 恐怖条件づけ解消に前部帯状回(内側前頭前野)がかかわっている。これをもう少しみておく。
 パニック障害(PD)や外傷後ストレス障害(PTSD)には、予期不安と回避行動(広場恐怖やトラウマを想起する体験の回避)を伴うことが多い。広場恐怖やトラウマに関する体験回避の脳神経の作用と治療方針について考える。
 PTSDとパニック障害は違う症状もあるが、予期不安や広場恐怖は類似している。PTSDについての研究があるので、それをみてみる。
 「恐怖条件付け」は、こうである。  ヒトのPTSDでは、実際の恐怖体験そのものではないが類似の感覚や感情や身体反応などの刺激によって扁桃体が激しく興奮するのだろう。
 条件づけられた刺激ー反応の関係づけを解消する「消去」はこうである。  現実の脅威が去ったのに何かの刺激で恐怖を再現するのは「消去の失敗」とみられる。  PTSDの治療法として認知行動療法の曝露療法が効果がある。回避しているものに、弱い程度から近づいていく方法で慣れさせる。  だが、パニック障害もPTSDも内的な経験で誘発する発作(不安発作、フラッシュバック、悪夢など)が頻発する間は曝露法を開始する勇気はなく、治療がむつかしいようで症状がながびくことがある。

<第4>治療方針=前頭前野の活性化

 多くの研究によって、PTSDの場合、扁桃体が興奮して内側前頭前野(前部帯状回)が低い活性度を示す。「しかしながら内側前頭前野と扁桃体のどちらの機能異常がより一次的であるのかは引き続き検討が必要である」(689頁、上記注2)とするものの、どちらかというと、前頭前野の機能不全(制御が不十分)のようである。  こうした神経生理学的特徴を理解すると治療方針がたつ。神経生理学的フュージョン(連合)を推測して、そこに心理療法的介入を試みる。パニック障害の広場恐怖も同様であろう。
 内側前頭前野の機能不全、すなわち、抑制機能の活性度が低いのであるから、抑制スキルを活性化させることが主な治療方針となる。薬物療法でそれがうまく効かない場合でも、マインドフルネス心理療法で行う。「価値実現のことに注意集中の訓練」「感覚や症状を無評価で観察」「不快事象の受容」「不要刺激・不要思考の解放」などのトレーニングをして、意識的、無意識レベルの両方の「非機能的行動に連合させることの解消」を行なうトレーニングをすることによって前頭前野の抑制機能を向上させることになる。
 PTSDにはフラッシュバック、悪夢のような単に心理的とは言えない症状がある。パニック発作も就寝中に発作が起きる場合もあることから、これも単に心理的な問題であるよりは脳神経生理学的な亢進があるとみられる。こういう場合、こういう発作の起きる頻度が少なくならないとエクスポージャー法を実行することはむずかしい。まずその責任部位の亢進がしずまるような対策(薬物療法、心理療法)が治療方針となる。マインドフルネス心理療法では、呼吸法や身体行動に意識を集中するトレーニング、非機能的な行動に移ることを抑制するトレーニングをすることが問題部位の機能を向上させる機序は明確ではないもの、基礎的なトレーニングを実行していると悪夢やフラッシュバックの起きる回数が減少してくる。このようなトレーニングによって海馬や前頭前野に変化が起きると推測される(注4)。
 次に第二の段階にはいる。基礎的なトレーニングで直接経験への無評価の観察、不快事象の受容、不要刺激の解放などの基礎的スキルが習得され、発作的な症状が起きなくなって自信ができた段階に至ってから、回避するものへのエクスポージャーを試みる。
 こうした治療に必要であるのは前頭前野の機能向上のトレーニングである。すなわち、呼吸法を行いながら従来回避していたものに直面する。身体は反応するが無評価で観察を続ける。呼吸法を行いながら「大丈夫だ」と繰り返しとなえながら長時間、呼吸法の中で無評価で観察し、やがて身体反応が変化していくのを自覚する。これを何度も試みる。相当、マインドフルネスとアクセプタンスの基礎的トレーニング(注4)を行なってからでないとむずかしい。