宗教に搾取される女性

 宗教による女性の搾取が多い。それを告発している一人が大越愛子氏(近畿大学助教授)である。女性は様々な苦悩をもって、信仰に救いを求める。しかし、ある程度の宗教的安心を得るが、冷静にみれば、その得たものよりもはるかに大きい犠牲を宗教教団によっておわされているのに、そのひどさに自覚がない。伝統宗教教団でも在家教団でも、建前では男女平等を言っていても、現実には男性中心で維持されており、女性の自己犠牲心を植え付け、利用して、女性を搾取していると指摘する(『女性と宗教』岩波書店)。
 女性は知らず知らず、教団へ自己犠牲の奉仕活動をすることが理想社会の建設の一翼をになっていると思いこまされ(マインドコントロールである)、教団から搾取されている。教団(つまりは幹部)の利益のために、女性信者の労働や忠誠心が利用される。信者は無償で、布教活動などの労働奉仕をしたり、金銭をさしだす。それを喜んでするのが、巧妙なマインドコントロールであり、組織ぐるみで、女性の搾取を行っている場合がある。
 ひどい教祖や幹部は、信者の自己犠牲の精神を利用して女性信者と肉体関係を結ぶという。宗教の名において、性的奴隷にするおぞましい教団幹部がいる。ここまでなると、はっきりと、カルトである。誠実な宗教と「カルト」の区別は難しい。
 女性は、宗教から搾取されてきた。もし、それだけの労働奉仕や金銭提供を、自分の親族や、貧困な人や、障害者などのボランティア活動や自由な文化、政治活動などに提供されれば、随分、社会が変わるだろうに、女性は教団に搾取されてきた。女性の労働奉仕や金銭提供があるから、宗教幹部とその家族は、宗教を気楽な職業としてぜいたくな生活を送る。女性は、搾取されていることを巧妙な教義によって隠蔽され精神を麻痺された。
 このような宗教の呪縛は、キリスト教にも、仏教にも、新興宗教にもある。こういうからといって、宗教に入るのをやめよう、というのは、自己に誠実ではない(西田幾多郎の言葉)。真の宗教を持たない人は、自己を知らず、自由な精神を縛られ、やはり何かに搾取される。何かあったら、挫折するからである。真の宗教とは何だろうか、という問題を真剣に考えなければならない。市民権を得ている宗教組織が声をあげてほしい。