小山明子さん介護うつ(3)
5月4日、NHK教育テレビで、「女性のうつ」の2回目、女優の小山明子さんがご自分の「うつ病」の体験を語られた。
小山明子さんのことは、以前に、次の記事でもご紹介した。今回は、もう少し詳細がわかった。
小山明子さんは、ご主人の大島渚さん(映画監督)の介護で、重い「うつ」になり、自殺を考えたこともあった。回復するまで、長い年月がかかった。
監督が96年に、海外で脳溢血で倒れた。最初は、世間に知られたくないという配慮から、ひそかに入院してもらったので、妻として思うようにできなくて苦労が多かった。思うように介護できないこと、新しい映画を製作することになって、それの見通しが暗くなったことなどで、うつになった。彼女は、うつ病の治療のために、入院した、監督の退院と同時に退院。うつ病をかかえて、介護が始まった。糖尿病と高血圧の夫の食事の管理に神経をすりへらした。食事のことで、ノイローゼ気味になった。薬をやめていたが、また、ひどくなって、入院した。
転機は、作業療法だった。病院の作業室で、料理を始めた。それから回復に向かった。
病に倒れて3年、監督は映画制作に復帰して、京都で仕事。うつが完治していなかった小山さんは、ついていかずに、自分を見直すことにした。水泳教室にはいった。
2000年5月、監督の映画「御法度」がカンヌ映画祭に出品された。このころは、小山さんのうつ病はほとんど治っていた。その後、監督は、十二指腸潰瘍で倒れて、5カ月の療養。もう、この時には、小山さんは、うつ病にならなかった。
「学習したんでしょうね。」「その状況を受け入れたんですね。今、ここでどう生きるかってことをおそわりましたね。」
「つらいことがたくさんおしよせたけれど、なんでも受け入れる。強くなった。」
また、近所の人から助けられた。そこで、地域とのおついあいをするようになった。
介護うつの経験を「パパはマイナス50点」という本に書いた。うつ病という隠したいと思った病気をしたけれど、克服できてからは、みなさんにも知ってもらいたいと思った。
監督は、半身麻痺と言語障害があり、車いす生活で、今も介護が続いている。
小山さんのすすめる、うつにならない介護のヒント。
- 自分の時間を持つ
(スイミング、友達とおしゃべり、お茶を飲みに行く)
- 「いい介護」の思いこみを捨てる
(介護サービスを利用しよう、デイケア、お風呂、歯医者、泊まりの預かり、など。自分も旅行などしてリフレッシュしよう)
- つらい時こそユーモアで
- お互いに「ありがとう」
(介護される人も、する側も「ありがとう」といいましょう)
- 一人で抱えこまない
(種々の相談、悩みについて、友達、近所の医者などアドバイスをもらう。)
「私は楽天家で、うつ病になるとは思わなかった。それがなった。何か、落とし穴があるんですね。」という。
「現実は受け入れなければならない。」「今は、とっても、しあわせ。」
介護する人の4人に一人がうつになるという。小山さんのような、楽天家でも、うつ病になる。いずれは、誰でも、介護する側、される側になりそうだ。もし、介護される側になったら、妻にも、ぜひ、小山さんの「ヒント」を参考にして、燃え尽きないようにお願いしよう。介護サービスは、大いに利用しよう。時々、預かりのサービスに預けてもいいから、好きなことをしなさいと言ってやろうかな、と思う。
小山さんが、繰り返し、強調されたのは「受け入れること」である。これは、アメリカのマインドフルネス心理療法では、「アクセプタンス」ということである。私は、「徹底的受容法」という。アクセプタンス、受け入れる、受容が、種々の心の病気(うつ病、不安障害、がんによるうつ病、など)を治癒させて、予防も効果がある。小山さんは、うつ病の予防に、受容が活かされている。
小山さんは、薬物療法だけでは、なかなか回復せず、作業療法(アメリカでは、「うつ病の行動活性化療法」といわれるものに類似)と、受容という、心理的な変換で回復に向かったこと、再発防止にも、徹底的受容法、友人や地域の心理的な支援が活かされていることに注目すべきである。