俵 萠子さん・がんがくれた第二の“老後”

 NHKの福祉ネットワークで、俵 萠子さんが紹介された。  事故から4年、つらかった。インターネットを利用するために、パソコンをはじめた。
「新しいことをやったのがよかった。」
「仕事をやめなかったのがよかった」
 うつは、仕事で乗り越えた。

 手術で、乳房をとった人で、温泉に入りたいという人がいたので、大勢でだったら、はいれそうだと思って、募集したら、 400人も集まった。
「乳がん患者の会」を作った。
 俵さん自身も、温泉にはいれなかったが、「自分のこころにバリアがある」と自覚して、他の人のささえで、はいることができた。自分が他人を助けていたつもりだったが、私が助けられた。
 次の壁があった。会員が、なくなっていくのを知って、悲しくて、会をやめたくなった。だが、いっしょにすごしたことがある。その人の訃報と追悼文を会報にのせると、会員や遺族からよろこばれた。「死から逃げないことにしました。」

 30代、40代でなくった人のことを思うと、がん医療について、要求していこうと決心した。
 セカンドライフの次の、第3の人生は「誰かの役にたちたい」。そういう生き方をしたいな、と思う。(NHK 福祉ネットワーク 7月5日)
 いいお話しでした。セカンドライフは定年後の何年かでしょう。趣味かもう一度仕事か。その次がある。第3の人生。他者のお役に立つことをする。
 さらに、第4の人生がありそうです。最期近く、介護され、看護される人生が。その時、どういう生きるか。最期のライトで照らせば、過去がみな輝くだろう。第2、第3期から、準備するべきだろう。何をしようかしら。やはり、地域にヒントがありそうな気がする。