音無美紀子さん「うつ」を克服

 事故や身体の病気で、身体に障害が残ると、「うつ病」になる人がいる。
女優の音無美紀子さんは、17年前、乳がんの左胸摘出手術の後、「うつ」になった。7、8か月、うつ病に苦しんだが、薬物療法を受けずに、治したという。NHK教育テレビで、夫の村井国夫さんとともにうつ病体験を語られた。(11/2/2005)
 薬物療法によらずに、治している例である。あらましはこうである。
 乳がんの手術の後、身体を気にして、着るものに神経を使うとか、日常生活に、不自由なことが多くて、ストレスがたまって、うつ病になった。眠れない夜が続く。近所のピアノの音など、すごく大きく感じる。子どもの弁当を作れなくなった。スーパーに買物にいっても、何を買ったらいいいのか、判断できない。−−やがて、死にたくなった。夫の村井さんの言葉で、死ぬことをようやく思いとどまったが、電車の踏み切りで「今だ」と思ったこともあった。
 ご家族も、どうしたらよいか、わからず、ただ、見守ること、なるべく甘えないようにと、気をつかった。村井さんも、どうしたらよいかわからず、子どもと泣くこともあったという。
 村井さんが精神科を受診しようといったが、当時は、精神科受診について偏見があり、音無さんも、女優業に傷がつくと思いこんで、精神科にいくくらいなら、死んだほうがましだ、と思っていた。

 結局、医者の治療を受けずに、治った。仕事を休んで休養すると、やや回復してきた。さらに、改善のきっかけは、子どものために、目玉焼を作ったことだった。弁当も作ってやれなくなっていたが、7月、子どもの夏休みの宿題に、絵日記があった。旅行にいったりもできず、絵日記の題材がない。子どもが、「では、料理をやって、それを日記にしよう」と言った。そこで、目玉やきを作ろうと、音無さんと子どもと、台所に行って、卵を割った。卵が「きれいに割れた」それを見て、涙がポロポロと流れて、「うまくやれた」と思った。それが、たちなおりの、きっかけだった。お手伝いさんや「きょうだい」が、きてやってくれる家事を、つられて自分もするようになって、うつ病が回復していった。

 こうして、音無さんは、夫、村井さんに見守られて、医者にかからず、治すことができた。しかし、こういう例は、あまりないだろう。今では、うつ病は誰でもかかる可能性のある病気であることがわかり、偏見も少なくなっているので、精神科や心療内科を受診しても、偏見は少ない(まだ、解雇されるということもあるらしいが)。うつ病になったら、受診して、助言を受けるほうが早く治る。自殺の危険も少なくなる。
 音無さんも、自殺したくなるほど深刻であったが、夫にささえられて、思いとどまった。「うつ病」は、休養を十分にとれば、ひどいストレスが持続していない場合には、こうして、薬物療法でなくても、治ることがある。薬物療法絶対ではない。だが、心理的ストレスが持続している場合には、治りにくいので、薬物療法や心理療法を受けた方がよい。
 がんの告知を受けて「うつ病」になって、回復する場合もある。音無さんの場合も、手術の後の、身体の不自由さは残っていても、うつ病は治ったのであるから、心のもちかたが、何か変化を起こしているのだ。ストレス状況は変化していないが、薬物療法でなくても、治る。こういう治る心理のメカニズムを研究して、それを治療に用いるのが、心理療法だ。