ニート=(2)「向いている仕事がわからない」(拒絶性スタイル)

 矢幡洋氏が、「拒絶性スタイル」とニートの関連についての仮説を提言している。

 「やりたい仕事がわからない」という表現で、就労しないニートは、実は、ある程度類型化された行動パターンがあるという。それは、米国の精神医学会の「精神疾患の分類と診断の手引」(DSM-W)の付録「検討を必要とするカテゴリー」で「拒絶性パーソナリティ障害」として指摘している行動パターンである。矢幡氏は、「拒絶性スタイル」は、一個の疾病として診断的に当てはめるのではなくて、拒絶性パーソナリティ障害に特有なものとは限定せず、複数の性格タイプが共通して用いる戦略とみなす。依存性がまさった性格タイプ全般が共通して用いる対人戦略、共通のツールとしてとらえる。

 「拒絶性スタイル」に共通の特徴は、一言でいえば、「消極的抵抗」である。このタイプの人たちは、主に親・教師・職場の上司のような「何らかの要求をしてくる人たち」との関わりにおいて、消極的な抵抗を示す(力関係そのものを転覆させるような激しい「反乱」「闘争」ではない。(注1)。

「消極的抵抗」のしかたには、人によって次のどれかを示す。  こういう行動パターンをとるために、このタイプの人達は「仕事につくのに消極的」「職場でうまくいかない」という傾向がある。せっかく、就職しても、職場で上記のような行動をとるために長く勤務できない。家族との間でも、就職に関連することを強く迫られると、上記のような行動をして、就職しようとしない。

 なぜ、そういう行動パターンをとるのか、どこから来るのか。  「特にほかに自分がやりたいことがあるわけではないが、他人の意向によって今とは別のステージに連れていかれるのは嫌だ」という漠然とした「変化への恐怖」がある。状況が変われば、もっと厳しい現実が待っているかもしれない。とりあえず今のままでいたい」というのが本音である。

 なぜ、やりたいことが見つからないのか、それは「依存性」の生き方から来る。  こういう行動パターンは、学生時代の、和とか他者との協調という観点からは、肯定的に評価されるところがあるから、破綻は目立たない。しかし、就職や結婚など、基本的に他人の力を頼むことができず、自分ひとりで決断して切り抜けなければならないような局面になって、この生き方が欠点をあらわす。  このために、やりたいこともなく、これをやりたいという意欲もない人は、職業世界という未知の世界に出ていくことに不安を感じてしまい、現状維持(不就労)にとどまろうとする傾向がある。
 このような心理傾向があって、就職できない状況におきこまれている若者が多数派であろうと矢幡氏は推測している。若いころから、自立心を持ち自己主張ができるように教育されるアメリカには少ないタイプのニートかもしれない。
 もし、この種のニートにこのような心理があるのであれば、大学や財界などが就職の機会や職業訓練の機会を増やしても、それだけでは、このタイプの人が、就職できるわけではない。財界などの支援を得て、せっかく就職しても、消極的抵抗の行動をとって、組織の足を引っ張り、批判されて、怒り、退職するかもしれない。これは、その拒絶性スタイルを修正するための心理的なカウンセリングなどが必要なのではあるまいか。こういう人に対して、矢幡氏は「解決志向セラピー」でのカウンセリングを行うが、欧米では、これに似た「拒絶性パーソナリティ障害」には認知療法などが、試みられているという。そのカウンセリングは、カウンセラーにとっても、相当な忍耐を必要とするようだ。薬物療法では治せない。
 ニートのうち、こういう「拒絶性スタイル」の傾向の人が多いのであれば、ニートの対策をたてる場合に、こういう心理的な対策も考慮して、長く苦労している人達の支援をしてもらいたい。この心理パターンを変えるのに、長期間のカウンセリングが必要であれば、地域の相談機関やNPO等の支援対策も必要であろう。また、こういうタイプは、若いうちに学校教育の過程で修正できるのかもしれない。そういうことも研究して長期的な対策をとらないと、次々と、こういう苦労する人たちが再生産されていく。


(注1)しかし、継続されていると、現状改善を強く迫られると、物を破壊したり、家庭内暴力を起こす可能性がある。これも引き伸ばし戦術である場合がある。見落として対応を誤ると改善しないだろう。「拒絶性スタイル」については、矢幡洋「働こうとしない人たち」(中央公論新社)を参照した。