会話のない「ひきこもり」は家族の勘ぐりあい
ひきこもりの人が163万人いるという。
次のことを書いた。
全国引きこもりKHJ親の会代表の話しでは、次のような特徴があるという。
アパシー、モラトリアム型が2,3割、何かの精神疾患によるものが7,8割。
後者に共通なことは、対人緊張、対人不信、対人恐怖。
それぞれの地域の自治体や親が共同で、心理療法の治療体制を作っていく必要があるだろう。臨床心理士などがこういう領域に参入できるような財政的措置をとらないと、取り組む人が現われない。
ひきこもり・家族の勘ぐりあい
斉藤環氏の「ひきこもりはなぜ「治る」のか?」(中央法規)で、こんなことが起きやすいという。
ひきこもっている人と家族(親か配偶者が多いだろう)との間に会話がなくなっている場合である。
「ひきこもっている場合、親子間であっても「腹の探り合い」が生じます。
ひきこもっている本人は、しばしば強い自責の感情をもっています。自分というのはどうしようもない穀つぶしで、生きる価値がない人間だ、くらいのことは考えています。そして、この感情を親に投影するのです。つまり、こんな自分を親は憎んでいる。早く追い出したいと思っている。じゃあいつ追い出されるんだろうかというようなことをずっと考えています。しかし、親にはわが子がそんなことを考えているとはなかなか気づかれにくい。」(117頁)
親はそんなことを考えてはいないのだが、会話がないと、勘ぐり、妄想、疑念をふくらませていく。一方、親のほうも、勘ぐり、妄想、疑念をふくらませる。
「それでは、親は本人に対して何を投影しているのでしょうか。親がしばしば思うのは、本人がこのままずっと怠けて、親のすねをかじって暮らしていくつもりであるに違いない、ということです。
そこで投影されているのは、親の怒りです。親の怒りを本人に投影すると、本人が親に対して腹を立てており、親をとことん困らせるために働こうとしない、といった勘ぐりが生じます。もちろんこれも思い込みです。」(118頁)
本人は怒っているためとか、確信犯的にひきこもっているのではないのに(不安障害的または、うつ病的な症状としての対人恐怖のためにひきこもるのかもしれない=大田注)次のように誤解する。
「親の不安が強い場合ほど、この状態がずっと続くのではないかという恐怖感、本人が確信犯的にひきこもっているのではないかという恐怖感、そういう思い込みが大変強くなります。しかしこれは、ごく典型的な誤解のパターンなのです。
要するに、子どもがひきこもっている家庭では、いずれ追い出されるとおびえる本人と、ずっとすねをかじられるとおびえる親という組み合わせが、一番ありふれたパターンなのだ、ということです。」(118頁)
家族が会話しているとこんなことはないが、会話がないと、こういう誤解、勘ぐり、妄想、疑念が起きやすいので、ひきこもりの人がいる家庭では、会話を絶やさないことが大切だという(次回)。
そして、病気の診断基準に合致する「病気」ではなくても、対人恐怖、対人緊張が多いのだから、これを改善することから始めたらいい。そのためにも、家族が変わる、家族が行動することが望まれる。こういうことに関心のない他の人は動きがにぶい。本人と家族が支援を求めて動かないと。
解決までには長期間かかるから、各地域に、対人恐怖、対人緊張、うつ病などの心理療法の治療の場、居場所、デイケアの場を作っていく必要があるだろう。