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災害ストレス・自己洞察瞑想療法

災害ストレスと病気-1

 災害がおこると、その災害の後に、心の病気や身体の病気が増加し、死者がでることがある。それは災害の後、様々なストレスにあうからである。記憶にあるところでは、阪神地区で大地震があった。ハワイ沖での実習船事故の後の心の病気がある。地震はまれであるが、火災、交通事故、愛する人の死、がんの発病などのストレスはいつ誰でもあうかもしれない。災害の後、何がおこるか、そして、その軽減のためにどうすればよいか、マインドフルネス心理療法(自己洞察瞑想療法はその一種)も含めて人々が対処した方法を考えてみたい。

雲仙の噴火

 九〇年十一月、雲仙・普賢岳が噴火した。島原市と深江町では、その後も何度か火砕流に襲われて、多くの人の生命が失われて、さらに避難を強いられた人々の中に、病気や死者がでてきた。
 島原保健所が避難半年後に行った健康調査では、「ストレスがあり、要注意」とされた住民が約6割にのぼった。(1)
 約十ケ月後、雲仙の被災者の中に、長い避難生活で、不眠、食欲不振、頭痛、持病の悪化などの様々なストレス症状がでていたことが報告された。(2)
 噴火から約3年後の報道によれば、まだ3千6百人が避難生活を送っていた。九三年十一月島原市で男性が自殺した。避難民3人目の自殺だった。家族の話では、自宅を失ったことや妻の家族が亡くなったことなどで、精神的に不安定となり、通院を始めた直後だったという。「火砕流で家を焼かれたのが誘因」と、男性が通っていた病院は分析する。(3)
 三年半以上たっているがまだ、避難生活が続いている被災者にとってストレスは深刻だ。島原市、深江町では三回にわたって被災者と警戒区域の住民の心身の状態を調査した。その中で「ストレスが高い」とされた人の割合は、いずれの調査でも一七から二十%あった。同じ調査をした周辺町村の住民では0.6%しかいなかった。」避難している人達のストレスが異常に高い(4)。ストレスから食べ物を受けつけなくなって衰弱死した女性もいた(5)。

伊豆大島の爆発

 伊豆大島の噴火のため、島民が本土へ避難した。住民約一万人が約一ケ月にわたり都内の体育館など三十七ケ所に避難していた。
 「『暖かい食べ物もあり、銭湯にも入れるのだから、阪神地区とは雲泥の差』(植村秀正・前町長)だったにもかかわらず、避難生活が長引くにつれ、不協和音が出始めた。避難者同士の口論も絶えず、体育館のフロアには、ダンボールやふとんが間仕切りのように積み上げられた。『連帯意識の強い島民でさえ、プライバシーのない生活にいらだっていることを痛感させられた』と植村さんは語る。」(1)
 一ケ月の避難生活を終えて帰ってから三ケ月間に、通常を大幅に上回る老人たちが死亡したことがあきらかになった。広瀬東京女子大教授によれば、災害があると、社会的、肉体的弱者である老人が犠牲者になる。アメリカのバッファロー・クリークの洪水や長崎水害などにおける研究から、災害に起因する精神障害や情緒障害が起こることはよく知られており、原因の一部は、解消されないストレスにあると考えられている。(2)
 『災害の襲うとき』という本は、災害がもたらす心の障害の事例を数多く紹介している(3)。たとえば、七十二年の米国バッファロー・クリークの水害では、死者百二〇人をだしたが、二年目以降も三十%以上に持続性の心的障害がみられた。阪神のような大災害では、同様に障害がかなり長く続くことが懸念される。
 バッファロー・クリークの被災者六百十五人に対して調査した結果では、九十三%の被災者に何らかの情緒障害が見いだされたという。(4)

ロサンゼルス地震

 九四年一月十七日、ロサンゼルスで大地震がおこった。震源地に近いサンフェルナンドバレーの住民の4人に一人が、不眠や恐怖感など極度の情緒不安やストレスを訴えていることが、二十六日付のロサンゼルス・タイムズ紙に掲載された。地震発生から五日から七日後に行われた調査によると、ロサンゼルス群全体では対象者の54%が何らかの精神的苦痛を感じていると答え、震源地から8キロ以内ではその度合いが74%に達した。また、群全体では、17%、サンフェルナンドバレーでは25%が不眠など深刻な後遺症に悩まされていた。これは、自宅に残っていた約千百人を対象としたもので、2万人以上の避難生活をしていた人は含まれていない。(1)
 被災者は、その後、身体の不調を生じる。「頭痛、胃腸障害、不眠などの症状に悩まされる。ロサンゼルス地震では、赤十字などのボランティアの精神科医らに対し、三万五千人がそれらの変調を訴えたという。子供の場合は発達段階によって違う。夜中に泣き出す、おびえる、あるいは指をしゃぶるなど発達の後退もみられる。群の精神保健局の資料によると、数週間ないし数か月後に症状が現れることもあるそうだ。」(2)

湾岸戦争

 九十年、イラク軍がクウエートに進攻し、これを奪還せんとして多国籍軍はイラクを攻撃し、湾岸戦争が勃発した。戦争は間もなく終結したが、クウエート国民は後遺症に悩まされた。湾岸戦争前は極めて少なかった殺人事件の件数が増加している。治安当局の話によれば、依然根強いイラクへの恐怖心や占領中に受けた虐待の記憶から、禁制のアルコールに頼ったり、麻薬に手を出す市民の数が急増している。(1)

奥尻島の地震

 九三年七月北海道南西沖の奥尻島に大地震が襲った。その十二日目を迎えた頃、やはり避難民が体調をくずした。避難所暮らしを強いられている住民から、高血圧や胃腸障害などの症状を訴える声が相次いでいる。担当医師は「将来の不安も重なってストレスがたまっているためだ」と指摘している。日ごとに頭痛やめまいなど高血圧に伴う症状や下痢などの胃腸の不調を訴える人が増えてきた。疲れから風邪をひく人も出ている。(1)
 災害による幼児の「心の被害」については日本では奥尻島の津波被害の時に研究が始まったばかり。その後(九五年二月)でも、夜中に跳び起きるなど睡眠不足に悩み、波の音や振動におびえる子供もいる。(2)

交通事故から

 交通事故の被害者も心の病気にかかっていく。ある日の新聞がそれを紹介している。会社からトラックで帰宅中、赤信号で停車中に追突されたQさんは、けいつい捻挫と診断され入院した。入院1週間で錯乱状態がひどくなり、別の病院にかわり、脳波の検査などをしたが以上はなかった。しかし、無意識に両腕が上下に震える状態が現れたため、精神科にかかった。この人は2年間精神医に通院した。教師のBさんは、窓ガラスの枠が落下したのが頭にあたり、頭蓋骨を骨折した。手術を受け。リハビリを始めたが、やがて人との会話を嫌がり、自室に閉じこもることが多くなり、睡眠障害も加わわって抑うつ状態になった。これについて東邦大学の黒木助教授は分析している。Qさんの場合、追突事故という災害体験が精神状態を動揺させ、さらにQさん自身の性格傾向などが精神症状を誘発した。さんの場合、2度の手術で脳への影響がでて、中程度の知的水準の定価が見られたが、「教師としての仕事はできる」と思い込み「自分自身が災害で変化してしまったこと」を認めたくないという自己否認の心理が脳の障害と重なって精神症状を起こした。(1)

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