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災害ストレス・自己洞察瞑想療法

災害ストレスと病気-3

1)災害ストレスへの対処法

 災害時にとられたストレスの軽減の対策、さらに、マインドフルネス心理療法からのアドバイスを記しておく。精神科医などの研究もすすんでいる(1)。

2)保健所、精神科医に相談

 災害ストレスによる心身の不調は病気である。病気の一歩手前である。医者のアドバイスが必要である。阪神・淡路大震災でも、避難所での「心の健康」をケアしようと、専門家が派遣された。兵庫県は全国の精神科医に要請して、保健所に精神科の医者を常駐させた。ケースワーカーをおいているところもあった。神戸市灘保健所では、保健所に相談に来ることを呼びかけた。「相談に来るのは立ち直ろうという気のある人。だれとも話をしないで、こもってしまう人が一番こわい。気軽に相談にきてほしい」
 しかし、そんな保健所の数が少なく、被災者に遠く、数が少ないのが悩みだった。
 それを補って、ボランティアや自治会の役員の方が相談にのってくれた。雲仙の場合も、「仮設住宅に住む被災者の中で民生委員や自治会長をしていた人に、被災者の気持を聞く相談員になってもらっていた。相談員が毎月一度、仮設住宅を回り、何か問題のあるケースは行政で対処するようにしていた。
 ふだん、付き合いのない精神衛生の専門家よりも、同じ境遇の顔なじみの人の方が、愚痴から何から話しやすい。」と長崎県保健予防課ではアドバイスしている。」(1)
 精神的に参ってきたと思ったら早いうちに精神科医に相談した方がよい。早いうちなら悪化させるのを防止できる。

3)組織化して要望を伝える

 一人で悩むのはよくない。考えた末、行動を生むという建設的思考は有益であるが、何も行動を生まないような不満、不平、悲哀を一人、心の中で頻繁に思うことが、様々な病気をつくる。従って、要望、希望、不平、不満は外部に伝えなければいけない。伝えられない時には、それを脇において、小さなことでもいいから、出来ることをしたほうがよい。
 鐘ケ江元島原市長はこういっている。「まず、行政に出来ること、出来ないことをはっきりさせる。そして出来ることはすぐやる。それが住民の信頼感につながる。」
 行政側も要望をできるだけ満たそうと努力している。一人で悩まないで、班などを作り、組織だって要望を伝えていくことがストレスを軽くする方法である。
 復興までの当面の生活に関しては、避難所で班長を選ぶ、自宅にいる人は町内会の会長を通す、マンションに関することなら被災マンション住民の代表を選出する、失業に関しては被災者労働団体などが結成されたことなどが、組織化の例である。一人で悩み、不安、不満、悲しみを発散させずにいるとストレスになるから、不満や苦情は責任者やリーダーをとおして当局に持ち上げるのがよい。それ以外の時は、失ったもの、将来の不安のことを長く考えないほうがよい。

4)みだりに考え続けない

 これだけの苦悩が一遍に押し寄せているのに被災地の人々はよく耐えています。そんな人々はどうしているのでしょうか。私達はこのストレスのひとつだけでも耐えられるでしょうか。
 込み上げてきた悲しみや恐怖や怒りは抑圧せず、表に出した方がよい。表に出すのは恥ずかしいなどと言って恐怖や不安を抑圧していると、後に心の障害を起こすようである。しばらくの間は、そういう思いがわくのは当然であるから、抑圧せず、人に語るのがよい。子供がそういう状況にある時、怒らず押さえ付けず、やさしく受け止めてやるのがよいとされている。
 しかし、三ケ月、六ケ月も経過してからは、一人、心の中で将来の不安、失った悲しみ、地震の恐怖などを再三再四思い出し考えていると、交感神経やHPA系(視床下部ー下垂体ー副腎皮質)が亢進して、ストレスホルモンが分泌され、うつ病や心身症や病気の悪化を招くおそれがある。悩みは不安は、グループの代表や役場、知人などに相談したほうがよい。この問題を考えるのは、建設的な対策が出てくる時だけにして、それ以外の時は、現実の生活をそのまま受け入れて、身体を動かしていくようにした方がよい。
 災害心理学者の広瀬弘忠東京女子大教授は次のように言っている。  老人は災害に弱いとはいうが、それは肉体的にであって、精神的には強い面もあるという。老人は「その場の状況にもっともうまく身をまかせるし、しかも文句を言わないからである、という。(『災害の襲うとき』)長い人生を生きてきて、困難を克服してきた強みだろうし、現状を受け入れるということは、不平、不満のストレスが少ないということである。
 マインドフルネス心理療法や認知行動療法の心得も同じである。自分の身体は 神経生理学的な構造によって反応するべくして反応しているのであるから、頭(精神)で自分の身体の動きを善い悪いという判断(認知のゆがみ)をせず、それにとらわれず、今なすべきことをなしていく。すると、いつのまにか、身体症状はおさまるものはおさまる、おさまらないものはおさまらないことを知る。必要に応じて医者にかかればよい。
 わかってはいるが、できない、といわれるだろうか。人によっては、そうかもしれない。それが、苦悩からの解消には、学問や読書だけでは現実の役には立たない、と昔から心ある人々が強くいっている理由である。読み理解するだけで、実践、行動しなければ治らない。しかし、急にはできなくても、病気がストレスからおこること、それは自分の脳神経などの活動であることをよく理解して、ストレスを発散させること、苦悩するだけ(対策の出てこない)の思考は長く考え続けない(自動思考を停止)という心掛けをしておく、それを少しでも実践する(それが行動である)だけでも違ってくるだろう。もちろん、ひどい場合は、精神科医に早く相談すべきである。
 災害は地震だけではない。火災、交通事故、配偶者の死、会社の倒産、退職、がんの発病など誰でも、常に直面している。私たちは火災になっている家に住んでいてまだ気がつかないで遊んでいるようなものだ(火宅)ともいわれる。
 災害や事故にあって、体調がおかしい人は、医者に相談すればいいのだが、その他参考になるような、ストレスを克服していっている人々の対処法を紹介してみよう。

5)事実をまるごと受け止める

 新潟県のホームヘルパーの井上千津子さんが、あるガン患者を看取った奥さんを紹介している。夫は胃がんになり、1年ほどの闘病の末なくなった。
 「彼はわがままな病人だった。言いたい放題、あたりかまわず怒鳴り散らしていた。妻は、そんな夫に対しても何ひとつ口答えせず、ひたすら世話をしていた。かたわらで見ていても胸がつまるほどいじらしい姿であった。「いいんです。怒鳴って気持ちが少しでも楽になるのなら。この人の切なさやつらさは、どんなにわかろうとしてもしょせん無理です。ただ事実を事実としてまるごと受け止めてやることしかできません。」
 井上さんは、最後にこうしめくくっている。「たとえ、一刻でも、我を忘れて人のために何かをすることのできるヘルパーという仕事を選んでよかった。」(1)
 「事実をまるごと受け止めて」「我を忘れて」働く。そうできる人はやさしく、強い。受け入れ(アクセプタンス)である。

6)受け入れる

 車いすの女優、萩生田(はぎうだ)千津子さんは、文学座の女優だったが、昭和五十七年、交通事故にあい、肩から下がマヒしている。今は、「車いす女優」と呼ばれ、全国各地を回っている。彼女をここまでにしてくれたのは多くの人のささえがあった。そのひとりが、水上勉さん。リハビリしていた彼女にこう励ましてくれた。「とんだり跳ねたりだけが女優じゃない。声が残っている。語りゃええ。道があるところだけが道じゃない。お前さんしかつくれない道をつくればええんじゃ・・・」
 また、リハビリ中のこと、六歳の重度障害児のK君と知り合ったが、ある日、彼は不自由な右腕だけで懸命にはってきて、片手を彼女の方に出そうとする。握手を求めているのかと思って自分も不自由な手を伸ばそうとした。すると彼は、首を横に振り、手を彼女の足の上で動かそうとする。「私は瞬間、胸をつかれた。K君は私の足をさすってくれようとしたのだ!自分がしょっている大きなハンディにもかかわらず、なお他人の障害を無意識に思いやるこの子に、私は言葉を失い、涙があふれた!このむくの子に、後光がさしているように見えた。そしてこのとき、私は今までの自分の心の奥の醜さを知らされた。」 そして、こう言っている。「一度、自分が着ていたものを脱ぎすててみよう。教えてくれたK君に感謝!感謝!体の感覚は失っているが、心の感覚だけは失わずに豊かに生きていこうと思っている。枯れ木のようになった私の体を、今、心から抱きしめている。美しく限りなくいとおしいこの体に乾杯!今、生きることが大好きです。」(1)
 彼女はこのような人に励まされて、語りの世界にはいった。

7)苦中に楽あり

 肩から下がマヒしているので、記者が「つらくありませんか」と聞くと、萩生田さんは、こういう。「ない。自分でも時々忘れるし、第一、障害者という言葉がいまだにピンとこない。本当につらくて悲しいときは、言葉も涙もでないものよ。」
 「どうせ分かってくれない、同情はいや、という人がいるけど、私は同情で結構というんです。そこからコミュニケーションができるでしょ」
 「卑下することからは何も始まらない。自分を好きになって始めて、人を愛せる。自分を信じれば、人に裏切られても、半分は自分の責任と分かる。」
 「強い人だ」といった友人がいるそうだが、本人は「もろくて、気が小さい。常に課題を与えていないとだめな人間。事故が私を鍛えてくれた」(1)
 彼女が「自分を好きになって始めて、人を愛せる。」という言葉も重みがある。自分さえ愛せない人が他人から愛してくれというのは難しい。自分で努力しなくても、心臓や肺が動いている。人は、みな、自分を超えた何かによっていかされている。いかす力が働いている。そのままの自分を愛して、そのままの自分を受け入れていかねば、心はここにあらずで、生命を殺すことになる。

8)なりきる

 失われたものは、惜しい、悲しい、しかし、それを悔いていても生むものは苦悩である(神経生理学的反応が起きる)。「残っているものがある」と前向きにとらえ、「なお他人の障害を思いやる」という、自分を忘れ、他人を思う人々には、環境を変えていく建設的な力があるであろう。「自分でも時々忘れる」こういう心の綾に気がついた人はストレスに強い。災害であろうと現在のこと(あとかたづけの作業でも、避難所でテレビを見たり、語り合ったりしているとき)に専念している時、人は自分の境遇の不平、不満もなく、その今のことになりきっている。人間存在の不思議である。人はそのように作られている。
 江戸時代に新潟に大地震があった時、良寛さまは被害にあった知人あてに、手紙を書き送った。この言葉は、その境地の高さゆえに理解できず誤解する人もいるが、大変意味深く、わかる人はわかるであろう。ご紹介しておく。  善悪の「よく」ではない。災難にある状況を嫌うと、うつ病になる。現われた現実はすでに過去で変わらない。災難の中でも、それを受け止めて、未来をよりよくする現在行動しかない。それが災難を克服できる(のがるる)というのであろう。

9)何もなくても生きてゆける

 苦しくても、現実を受け入れて、その状況でも、できることはないか、それでも生きていられるのがまだましだと、建設的に考えていかないと、かえってよくない結果となることは現代医学でも教えるところである(現状を受け入れず、否定的、悲観的、破局的思考はHPA系を亢進させて、心の病気を作る)。現実を受け入れず、豊かで幸福だった過去と比べて不満、悲哀の思考を持っていると、つらい感情におおわれて、その時、その時の必要な判断を停止させ、正常な思考をさまたげる。そして、長い間には、前頭前野、海馬などを傷つけ、病気になり、対人問題をおこし、夫婦の葛藤を招き、ひどい場合、うつ病になり、生命まで失う。
 キリスト教の聖書はこういう。「自分の命を救おうとする者はそれを失い、自分の命を失う者はそれを保つ」同じようなことを言っているのかもしれあに。
 神戸の被災者の一人、福井さんは妻や子供と崩れた自宅に行って、大切なものを探した。家具も家電製品も衣類も使い物にならなかった。
 「何にもなくなってしまっても、生きていけるよね」(悪いところばかりを見ない)。子供たちと話していると、明るい声が返ってくる。「ええ勉強になったわ」。甘えん坊と思っていた三女がこう言った。みんなが前向きのやさしい言葉を掛け合う。(1)
 この家族には死亡者がなかったようだ。肉親を失った人は、このようにはいかない。だが、前向きの、この家族は大丈夫だ。しかし、これからもストレスは続く。家のほか、仕事、肉親を亡くされたかたのストレスはもっと大きい。行政などの支援が望まれる。

10)無我の境

 ひとつ興味深い話がある。長野県の30歳の主婦の新聞への投稿である。  まさか、死んだ人としゅうとめとの間に対立が背景にあって、死んだのを喜んだわけではないだろう。しゅうとめも縁者の死亡は悲しかったはずであるが、読経を聞いているうちに、自らも三昧にはいって、すべてを忘れたのである。この時、その場にいた人たちはどうしたであろうか。この場にいた人の中に気のきいた人がいたなら、この時、このしゅうとめをほめて、人間心理のありさま、苦悩のありさまを理解させることができたかもしれない。「泣くに泣けない、笑うに笑えないお葬式だった」と結ばれているところを見ると、悲惨な状況になってしまったのだろうか。

11)自分の息子と思い他人の看病

 きわめて興味深い事例が報道された。石川県で2台の車が衝突事故を起こした。佐賀さんが即死、平沢さんは意識不明の重体で包帯を顔までまかれていた。警察が間違えて、平沢さんが即死、佐賀さんが重体と発表した。身体格好が似ていたため、両方の家族も取り違えに気がつかず、佐賀さんの遺体を引き取った平沢さんの家族によって平沢さんの葬式が行われた。一方、佐賀さんの親は12日間、平沢さんを息子と信じて看病し続けた。後に判明して交換された。(1)
 佐賀さんの親はもし、その重体の人が平沢さんとわかっていたら、一日でも看病できなかったであろう。佐賀さんの親は、真相がわかるまでは、息子の死亡をしらず、死の悲しみはなかったであろう。わかっていて、平沢さんを看病しろと強制すると怒ったかもしれない。他者でも自分(の息子)であると信じる間は献身的な看病をできるのである。人間として、精神は幸福をもたらすものであるが、苦悩もつくるものである。
 それにしても、病気や災害時に、付き添いやボランティアの方々が、他人の世話をして下さる。自分のことを脇において他人のお世話をしておられる、貴いことである。
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