病気の母殺し:将来悲観しリストラの長男

 悲しい事件が報道されています。
 勤務先をリストラされ生活に困窮し、将来を悲観して病気の母親(当時71歳)を殺したとして殺人罪に問われた長男(44)の判決が6月9日、東京地裁で言い渡される。一緒に暮らした母に手をかけ、法廷で「お袋のところに行けたらひれ伏して謝りたい。許してくれないと思いますが」と謝罪した被告に、検察側は「身勝手な犯行」と懲役12年を求刑している。

 被告は19歳の時、母ツユコさんとともに酒乱の父親から逃げて、故郷の広島を出た。東京都のアパートに2人で暮らしていたが、昨年2月に勤務先のパチンコ店が合併し、余剰人員として解雇された。「死に物狂いで探せば職は見つかったかもしれないが、やけになり面倒になった」。借金もあり、同11月から電気とガスが止められた。夜はろうそくで過ごし、食料を万引きして飢えをしのいだ。
 12月、母が胸の痛みを訴えて倒れた。金がなく病院に連れて行けなかった。自らも糖尿病を患っており「先に死んだら母はどうなる」と不安に襲われた。「どうしようもなくなったら互いに首を絞めよう」。そう声を掛けると母は深刻な表情でうなずいたという。

 今年1月19日夜、母がまた倒れ、背中などの痛みを訴えた。「死のうか」と声を掛けた。「死にたくない」と言う母は3時間も苦しみ続けた。母を楽にしたい思いと、自分も楽になりたいとの思いが交差した。母はうわごとのように「殺してくれ」と2回言ったという。「死にたいか」と、もう一度声を掛けたが返事はなかった。口や鼻を押さえて絶命させた。
 自殺しようとさまよっているうち「お袋を連れて行って一番楽しんでくれた横浜の海を見てから死のう」と歩き出した。横浜市の山下公園にたどり着いたのは午後2時。海を見つめ、「逃げるわけにはいかない」と思い直し、横浜の交番に自首した。

 アパートの大家は「珍しいほど親思いの息子さんだった」と残念がった。公判では裁判長から「公的機関に相談しようとは思わなかったのか」と問われ、「思いつきませんでした」とうなだれた。(毎日新聞HP 2006年6月3日)
 この最後の裁判長の言葉を注目したい。リストラ、病気などは、自分では、コントロールできないことがある。解決できなくて、つらくて、困ったら、公的機関に相談するということだけは、思いつくようにこころを整理しておきたい。うつがひどくなると、そういう考えさえも思いださない(記憶力の阻害)、思いつかない(思考・判断の疎外)、思いついても行く意欲・勇気がない(意欲の喪失)。将来が悲観的で、死んだほうが楽だと思う(希死念慮、自殺念慮)。
 困った人が孤立して、地域でのささえあいがなく、幸福な人々と不幸な人に分れている。この例では、金銭的な不幸がきっかけだが、名誉や金銭的にめぐまれた人でも(海洋学者の家族の無理心中事件のように)、いつ、家族の中の誰かが、金銭では解決がむつかしい「心の」不幸に入っていくかもしれない。家族の不幸は、自分の不幸だ。いつも、深淵をのぞかせていることを忘れてはならないでしょう。
 家族の不幸は、自分の不幸だ。もう少し拡大して、他の家族の不幸、社会の不幸は、自分の不幸。だから、社会を少しでも、よくするために、ボランティア活動、公益活動が大切だと思う人がいる。 種々の社会問題が噴出して、家庭だけでも、官庁だけでも解決できない段階にある。もう、これまでの「専門家」だけでは解決できなかった。いろいろな人たちの智慧が必要とされている。ブログやホームページなら、誰でも、情報提供、提案をできるでしょう。