虐待・アルコール依存症



 朝日新聞の「生活」欄(10/17/2005)に「虐待超え 自立の道しるべ」(「”It”と呼ばれた子」今夏、日本でコミック化)の記事があった。

 この記事の中に、著者、デイヴ・ペルザーさんが語った言葉がある。次の言葉が印象深い。  ペルザーさんの母も祖母から虐待を受けていた。母は結婚後、ペルザーさんを生んだが、ストレスから、アルコールに手をだして、アルコール依存症となった。そして、ペルザーさんに過酷な虐待をした。
 虐待された子は、青年期までに、その虐待体験を充分再評価しないと、自分が結婚して、子どもを持った時に、同じことを繰り返す人が多いと言われている。世代間の連鎖である。遺伝ではないのに、生後の体験が、繰り返される。  ペルザーさんの体験には、アルコール依存症の問題と、虐待の問題がある。アルコール依存症は、マメリカでは、マインドフルネス瞑想法をとりいれた新しい認知行動療法でも治療している。今、ご紹介している本では、第12章である。これを先にご紹介しよう。
 ここでは、虐待に関連しての、ペルザーさんの言葉について注目したい。アクセプタンスとマインドフルネスの理念が生きている。虐待された過去によって、自分の情動処理がそこなわれて自分も憎しみにとらわれて、心の病気になったり、非行・犯罪を犯したりしやすい。しかし、ペルザーさんのいうように、過去ばかりを見て憎しみの中にいると、「今の自分」が失われる。その感情にふりまわされると、自分がまた、心の病気(うつ病、アルコール依存症など)になったり、自分の子どもに虐待したり、配偶者に暴力をふるったりする。その不幸の連鎖を乗り越えるために、ペルザーさんのいうような心の切り替えが必要になる。不幸な過去を再評価して、大きな見方で、乗り越え、今、ここの、自分の新しい人生を生きていく。そういう虐待された人の自立を支援をするカウンセラーもいる。この心の切り替えはむつかしいが、日本では、他のカウンセリング技法を用いるであろうが、アメリカでは、やはり、新しいマインドフルネス法などが応用されている。紹介中の本の「第9章 アクセプタンス、マインドフルネス、そしてトラウマ」である。これも、いずれ、ご紹介する。

 アクセプタンス、マインドフルネスは、初期仏教にあったものである(四聖諦、八正道)が、人間の心の根源的なところにせまっているのではないか。だからこそ、適応領域が拡大しているのだろう。日本で、こういう研究、開発が遅れているのが、残念である。原因は、薬物療法中心の医療制度と仏教学の怠慢であろう。
 心理療法が保険診療外であるため、心理療法は高額になるため受ける人が少ないので、カウンセラーになる人が、医者の数よりも少ない。そこで、研究が遅れた。今も、この状況は変わらない。収入が保障されないので、職業カウンセラーは、医者のように、全市町村に一人は配置されないだろう。
 また、アクセプタンス、マインドフルネスは、仏教や禅にあるのであるが、仏教学が、それを研究しなかった。仏教学は、思想研究、歴史研究ばかりを行って、仏教、禅におけるアクセプタンス、マインドフルネスの側面について全く研究してこなかった。
 だから、仏教学、禅学は、アクセプタンス、マインドフルネスを、日本の社会に発信しなかった。今後、欧米の心理療法家によって、仏教、禅の本質(最も肝心なところ、「心材」)が解明されることになると思う。