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仏教は深い哲学を見失っている
日本の仏教、特に、平安時代鎌倉時代の各宗派の開祖には、深い東洋哲学があったのに、
後世、現代にも、深い哲学を見失っているという竹村牧男氏(東洋大学学長)の指摘があります。
「究明されるべき本来の自己は、じつは自他不二の自己であれば、おのずから社会性に出てこざ
るをえないであろう。このことは、本来、真剣に追求されるべきであろうが、日本の仏教におい
てはいまだじゅうぶんに検討されていないことも事実である。」
(「入門 哲学としての仏教」竹村牧男、講談社学術新書、255頁)
「そのことに加えて、日本仏教が、哲学・思想としてあまり社会的な力を持っていない理
由には、またつぎのようなことがあるのではなかろうか。」(同、255頁)
開祖には、深い哲学があるのに、こうした状況になっています。
「このときもっと、仏教が本来持っていた豊かな思想・議論に耳を傾けるべきではなかろうか。
そして、それらを現代社会の課題に応えうるよう、さらに鍛え上げていく必要がある。このことに
は、既成の仏教教団も真剣に取り組んでいく必要があるし、一方、一般の個人においてもまた、
本来、根源的に哲学的思索を展開する仏教思想を学ぶなかで、そうした時代の問題を考え、仏教の
あり方に影響を与えていくことは、たいへん、意義深いことであろう。」(同、257頁)
現代では、もはや、宗派で主張されている一つの易行(祈祷、坐禅、念仏など)の内容だ
けでは、「哲学・思想としてあまり社会的な力を持っていない」のですが、
本来は、深い哲学が含まれています。
「それらを現代社会の課題に応えうるよう、さらに鍛え上げていく必要がある」のですが、
2つのグループに分けて期待が述べられています。
指摘だけでも不十分です。指摘は、西田幾多郎、竹村牧男氏がされています。しかし、教団や他の国民により本気に社会問題への取り組みは不十分という状況です。
さらに、「現代社会の課題に応えうるよう、さらに鍛え上げていく」ことがされていません。
欧米では、東洋哲学、仏教の実践がうつ病、不安障害、依存症、パーソナリティ障害、犯罪の更生などに社会問題の解決に応えつつあります。そんな時に、日本人には2つのグループへの期待があります。
仏教教団への期待
一つは、
「既成の仏教教団も真剣に取り組んでいく必要がある」と竹村氏は言われます。教団は、これまでの方針(開祖の深い哲
学にふれることがすくない)を変えて、開祖にある深い哲学を掘り起こすことです。そういうことをする時
に、仏教が現代に貢献できることとして議論の自由を認めることが大切でしょう。
一つの立場に固執していると、現代社会からとりのこされます。
檀家信者が、うつ病となり自殺していき、檀家信者が減少していきます。自殺しない信者は、他の宗教や反社会的カルトに救いを求めていくでしょう。檀家信者の減少がとまりません。寺は基盤を失い廃寺となっていき、やがて教団の存続さえもあやういものになりましょう。
若い僧侶、檀家信者に、議論、提案、研究の自由を認めることが大切でしょう。時代が違います。グローバル時代、未曾有の変革がきざしています。若い世代の新しい見方を期待すべきでしょう。
なにしろ、欧米のマインドフルネス心理療法者が、日本の鎌倉期の仏教者の哲学を賞賛しているのですから、それを自
ら否定することはなかろうと思います。さもないと、「20世紀までに、仏教は日本で深い哲学が見失われた。21世紀は世界的に深い哲学を必要としている、社会に貢献する仏教は、欧米の心理療法者から学
ぼう」と世界中の人と日本の心理学者、国民、そして、危機をいだく仏教僧が、言い出すおそれがあります。仏教、襌を活用したマインドフルネスについて、日本でも多数の翻訳書が出版され、それを学んだ心理学者が社会貢献をし
ようとしています。
一般個人への期待
2つめは、「一般の個人においてもまた、
本来、根源的に哲学的思索を展開する仏教思想を学ぶなかで、そうした時代の問題を考え、仏教の
あり方に影響を与えていくこと」です。教団以外の人のすべての人への期待ですが、心理学者、教師、医師、看護師、心理士、
そして、苦悩する一般国民ですが、もう、そういう人たちが、仏教にある深い思想、哲学を学んで、
現代社会の問題解決に貢献できることを開発して、逆に、教団の「
仏教のあり方に影響を与えていくこと」を竹村氏は期待しておられるのだと思います。仏教の専門家と
それ以外の人たちが、いい意味で批判しあい、研鑽しあっていくことが東洋哲学の本家として世界
に貢献できるのでしょう。
なにしろ、
ジョン・カバット・ジン氏のMBSRの基礎にある「全体性」、
リネハンの弁証法的行動療法の「賢明な智慧」や
アクセプタ
ンス・コミットメント・セラピーの「文脈としての自己」
は、かなり深い哲学的な場所的なことであり、
東洋哲学(道元に似た哲学があると思う)の「自他不二」に迫っているのですから。こうした期待があるから、日本のマインドフルネス心理療法の研究者には、特に、日本の哲学の研究が求められているでしょう。ツィン、リネハンやACTの言う自己の哲学が、日本にもあることを海外に教えること、それを応用した独自のマインドフルネス心理療法を提示することが期待されます。
(ACTは西洋哲学かもしれませんが、文脈としての自己は「場所」的です)
ちなみに、自己洞察瞑想療法(SIMT)は、仏教学者でもなく、哲学者でもなく、心理学者でもない一般人が創始したものだから、はなはだ不十分です。半年から1年ほど自己洞察法を実践できる人には有効ですが、できないで脱落する人がいます。専門の心理療法者による専門的、独創的なマインドフルネス心理療法が開発されることを期待しています。
◆セラピスト・カウンセラーを育成する人には哲学が必要になる
◆カウンセラー(セラピスト、医者)も自己洞察スキルの体験が必要
◆専門家の我執
◆西田哲学も