(⇒目次)

現代の仏教は、一般在家の救済をせよという哲学がない

 日本の仏教には、多くの宗派があります。仏教系の新興宗教もあります。 哲学、思想、理論が違っています。哲学が違うので、実践、修行方法もちがってきます。 扱う問題も当然、違ってきます。だから、哲学はとても重要です。
 仏教の研究者によれば、自分の苦の救済(自行)、自分とは何かという悟り、他者の救済(化他)、死生観の哲学=理論が違っており、そこから救済方法=修行内容において、重要な差異が生じています。
 哲学はとても重要です。他者を救済せよ、という慈悲の哲学のない宗派は、苦悩する人の救済の実践を行いません。自己存在とはどういう存在か、という哲学がなければ、フランクルのように苦悩する人を援助することが難しくなります。 カルト宗教は、自分たちだけ、幹部だけに都合のよい理論を持つことがあります。
 フランクルのロゴセラピーの哲学と西田哲学は似ていますので、その哲学=理論を基礎に、実践技法を開発できれば、似たような問題(神経症、うつ病など)を扱うことができるでしょう。ただし、ロゴセラピーは、宗教レベルは扱わずに、聖職者にまかせるといいます。宗教レベルの苦悩も多くの人を苦しめます。 日本のマインドフルネスの場合、がん患者の死の不安の苦悩を扱う仏教宗派がないのであれば、 マインドフルネス心理療法者が開発できるでしょうか。この領域は、がん患者さんの精神衛生の視点、免疫低下防止に貢献すると、フランクルは言っています。その際、患者さんの死生観に近い宗派の聖職者が貢献できるのでしょう。キリスト教、浄土真宗、襌宗がそれぞれの死の宗教哲学で貢献できるのでしょう。死の不安という苦痛をいかに受容(アクセプタンス)して、最期まで意味ある態度をとるかという価値実現の生き方がマインドフルネスですから、 いずれの宗教にも、その哲学があるはずです。 この領域こそ、医療が扱うことはできず、宗教が扱える領域です。フランクルがそういっています。
 東日本大震災で多くの人命が失われ、愛する人の死による苦しみが甚大で、うつ病、PTSDが深刻です。治らないと自殺があり、生き残った人に、死の影が近寄っています。表面の心理現象の葛藤ではなく、奥の自己存在=実存にまで浸透した苦悩ならば、薬だけでは克服が難しいでしょう。 薬は、実存について苦しまない動物を実験に用いて、薬を開発しています。 薬だけでは支援が難しい領域ですが、心理士と宗教者、宗教学者が援助できるのでしょうか。フランクルは、開発すべきだといったようです。その時にも、自分の宗教の絶対主義は抑制して、クライエントが自由に選択できるように、フランクルの「一人類教」のような枠組みを作り、中身は、それぞれの宗派の専門家との協働で援助するという方法をとれればいいのですが。精神療法者、仏教学者、哲学者、宗教者のすべきこと、実際の臨床現場に社会貢献できることがあると思うのです。日本人は、持っていた羅針盤を失ったように見えます。でも、消えたのではなく、埋もれているだけだと思います。