自己洞察瞑想療法を種々の領域に
臨床心理学とカウンセリング心理学
國分氏は「カウンセリング心理学」を提案している。日本では、17専門分野にないが、アメリカでは、12番目の「臨床心理学」と並列されて、17番目に「カウンセリング心理学」がある。
両者の違いは、次の通りである。
「臨床心理学は病理的パーソナリティ(神経症・性格障害・精神病)の研究と治療が主たる守備範囲である。ところがカウンセリング心理学は、問題をかかえた健常者および問題を持っているわけではないが今よりも更に成長したい健常者を主たる対象にするものである。前者は治療志向であるが、後者は問題の解決・問題の予防・行動の発達をそれぞれ志向するものである。」(1)
心理学には種々の領域がある。臨床心理学、社会心理学、教育心理学、犯罪心理学、カウンセリング心理学などである。
種々の心理学
アメリカでは、仏教の実践(マインドフルネスおよびアクセプタンス、すなわち、注意集中法、徹底受容法など)が、医学に応用されて、マインドフルネス心理療法として、めざましい貢献をしている。しかし、仏教の実践は、宗教的な目標のみで実践されるならば、宗教であり、療法とも、カウンセリングともいえないであろう。
しかし、仏教で実践された呼吸法は、注意集中法、不要機能抑制法、徹底受容法などをおりこんで適切に用いれば、心の病気や心身症などを治癒させることもできる(臨床心理学の領域に似る)し、健常者の持つ問題解決や、より成長したいと思う健常者の目標にも貢献できる(教育心理学、体育心理学、カウンセリング心理学などに貢献できる)。呼吸法の実践が、臨床心理学や他の心理学へ貢献できるという研究は、日本ではほとんどされてこなかった。我々は、この領域の研究と実践を提案している。新しい実践と研究であるので、「用語」も認知されていない 。
(注)
(1)「カウンセリング心理学」國分康孝、PHP研究所、43頁。
(A)自己洞察瞑想療法によるカウンセリング(心理療法)
現実の心の病気や、種々の心身症などの軽減・治療のために、仏教で実践されていた、呼吸を観察する方法、「注意集中法」、徹底受容法などを用いる心理療法を「自己洞察瞑想療法」と呼ぶ。病理的パーソナリティの治療、および、心身症の治療を目的とする。
「自己洞察瞑想療法」に学問的根拠を与えるために種々の方面から研究する学問は、臨床心理学や行動医学かもしれない。しかし、仏教経典との関係を研究する学問もあるはずであり、それを
「臨床仏教学・禅学」
と呼ぶ。研究が精緻になれば、「臨床仏教学」「臨床禅学」と分化していくかもしれない。仏教学、禅学は分化している。臨床真宗学も考えられる。真宗が、現代の医学に貢献できるかどうかの研究である。
マインドフルネスやアクセプタンスが、どういう意味を持つか種々の方面から研究されるだろう。種々の方面とは、仏教学、禅学、(さらに他の宗門の学問も)を中心として、哲学、脳神経科学、精神医学、臨床心理学、種々の心理学、精神神経免疫学などである。
マインドフルネス心理療法や自己洞察瞑想療法では、用いる技法、治療法は、薬物療法、食餌療法などを用いず、「呼吸法や自己洞察法(マインドフルネスやアクセプタンス)などの心理的な実践、ものごとの見方・考え方や生活法」などを重視するものである。「呼吸法や自己洞察法などの実践」がなければ、一般の「認知行動療法」になる。
心理療法としての自己洞察瞑想療法では、仏、釈尊、開祖、宗祖、先祖、カウンセラーなどへの信仰、崇拝などのことは全くいわない。病理的問題の軽減、治癒で、クライアントとの関係を修了する。宗教的要素がないので、短期間(6カ月〜1年、2年程度)で、病気の治癒が達成されてカウンセラーとの関係を修了することを目標とする。健常者となってから、さらに、自己洞察瞑想の実践を行う 領域もある。
自己洞察瞑想療法(臨床)
基本的技法
「形式技法」
+
臨床心理学や医学の知識
臨床心理学や医学の領域に貢献 できるように開発された 実践(「目標技法」)
→
自己洞察瞑想療法
(臨床の心理療法)
(B)健常者の種々の問題の領域への自己洞察瞑想法の貢献
(病理的でない領域、臨床心理学の対象を超えた領域)
呼吸法や心を洞察する技法は、病理的なパーソナリティの治療ばかりでなく、幅広い産業領域で応用できる。その領域では「自己洞察瞑想法」(「療法」ではない)というべきであろう。たとえば、予防的な領域では、がん患者がうつ病におちいらないための実践、医者やナースが燃え尽きにならないための実践に貢献できるだろう。開発・社会貢献分野では、自己洞察瞑想法の技法が、貢献するとしたら、スポーツ選手がこれを実践して飛躍したり、教育心理学への応用として、教師が思考・感情・行動をこの技法によって洞察して教育の向上に貢献することが考えられる。種々の産業分野で、自己洞察技法は、貢献できるはずである。
教団が、教団のかかげる宗教目標を達成するための実践は「修行」と呼ぶが、宗教信者でない一般人の、人生上の問題解決、成長・向上を支援する実践および指導法ならば、「自己洞察瞑想法」と呼んでいいであろう。 こういう領域での仏教に似た実践の貢献 ができる。過去に実在した仏教や禅も、社会のため、大衆のため、在家のために何ができるかを真剣に探求したはずである。これまでの仏教学、禅学はそういう視点よりも、「思想」(悟り、世界観など)を研究してきた。一般人の苦痛との関係を充分に研究してこなかった。精神疾患や対人関係、死の不安(末期患者)などの苦悩の領域を現代では種々の「臨床心理学」が貢献しているが、仏教や禅の学問は、これまではそういう「臨床心理学」には、日本では、ほとんど貢献してこなかった。(アメリカでは、マインドフルネス心理療法として、広く貢献してきた)
「臨床心理学」という観点からの仏教や禅の研究はほとんど行われていない。そのような目標を持つ学問を
「臨床仏教学」
と呼べばいいのであろうか。
元来、仏教の実践は、心の病気の人の治療(臨床心理学の領域)だけではなくて、幅広い人々の苦悩の解決に貢献できたはずである。臨済宗では、悟りを得ることをいうが、もちろん、それも、仏教の範囲であった。だが、もっと、広い領域で、人々の仏教への期待はあって、それの解決のために、従来は、仏教が貢献したであろう。
自己洞察瞑想法は宗教ではなくて、「心理療法」として開発された。その基本的な技法を、仏教の文献に見出そうとすれば、「臨床仏教学」となるだろう。
当研究所は、今のところ、臨床心理学や心理療法と同様の領域に重点を置きながら、他の領域で貢献することにも関心がある。児童生徒、教師、経営者、スポーツ関係者、医師、カウンセラー、などのための自己洞察法である。種々の分野の健常な人々の病気(心の病気、心身症など)の予防・種々の職域における成長・人格向上のための実践(心理を洞察することが重視される)である。
今は、重大な問題である「自殺が多い」「うつ病・パニック障害。対人恐怖が治らない」という臨床心理学の領域での「自己洞察瞑想療法」に着手している。この領域で、一応の段階まで開発できたら、病理的心理ではなくて、もっと、幅広い人々に、自己洞察瞑想療法が貢献できることを訴えたい。健常者がかかえる問題領域の解決、成長・向上したいと考える健常者の要求に応えるところに、自己洞察瞑想療法が貢献できると思う。それは、私たちではなくて、それぞれの産業分野の方が、推進していただきたい。そのために、当研究所は、基本的な「形式技法」と「目標技法」、「基本的な自己洞察瞑想療法」を啓蒙し、教育したい。それぞれの産業分野に貢献できるように、自己洞察瞑想療法の技法をどのように修正、開発するかは、それぞれの分野で働く人々と、その関係の心理学者、心理カウンセラーである。そういう意味で、自己洞察瞑想療法の技法は、
「他の心理学」
でも研究していただきたい。
自己洞察瞑想法
基本的技法
「形式技法」
+
スポーツ心理学、教育心理学、発達心理学、犯罪心理学、心身症の予防治療の心理学、働く人のための予防心理学、など(カウンセラーのための心理学、個人開業医の心理学、ナースのための心理学、会社員、教師、学問研究者、芸術家、などのための心理学。今はないかもしれないが、「ガン患者のための心理学」なども)
上記の領域に貢献 できるように修正、開発された 「目標技法」の実践
(問題解決、予防、成長)
→
それぞれの領域の心理学
(自己洞察瞑想法の技法*が加えられる)
(*)基本的な自己洞察瞑想法の技法のほかに、これを活用した新しい技法(自己洞察瞑想法の拡張技法)が、それぞれの領域に貢献できるように、開発される必要がある。たとえば、教師が生徒に接する時に、役に立つような、教師独特の感覚・思考・感情・行動の観察法のごとき。ナースが患者に接する時に、役に立つような、ナース独特の感覚・思考・感情・行動の観察法のごとき。すなわち、病理的な問題の治療法ではなく、教師やナースが、よりよく職務を遂行し、病気におちいることを予防し、周囲の人(生徒、患者など)を苦悩におとしいれないような、自己洞察法である。これは一例である。種々の領域に、予防的、成長的な目的で、自己洞察瞑想法を活用できるはずである。(生徒が不登校になる原因の多くは、教師の言動にもある。それを教師が自覚していない。生徒や父兄の言動にふりまわされて心の病気になる。教師が、自分や生徒の思考・感情・行動に理解がない。自己洞察瞑想法を実践すれば、その理解に貢献するだろう。呼吸法や自己洞察法は基本的な部分は同じであるが、自己洞察瞑想法を用いる技法はそれぞれの分野で考案されたものが効果が大きい。)