• topMF目次

    生きがい、生きる価値は世界の中にある

     人間は、生きがい、生きる意味を求める存在である。 その生きがいは世界、社会、外部にある。自己自身の中にはない。 人間は、すべて世界の中で生きている。生きる意味は、世界にある。 生きる価値は、自己の内にはなく、世界の内にある。 愛する人も世界の内にいる。自己の人生の意味を見出す価値も世界の内にある。 従って、世界の中で行為しないと、生きる意味を感じることができない。 西田幾多郎はこういっている。
     「行為するということは、自己が自己の内容を実現することである。知識的立場からは、未だ実現せられない自己の内容は自己自身にも知られない、実現せられて後それを知ると云ひ得るのである。併し未だ実現せられない自己の内容といふものは、既に自己の内容として自己に於てあるものでなければならぬ。かういう意味に於ては既に知られたものでなければならぬ、然らざれば「私が行為する」といふことは出て来ない、我々はいつも客観的なる事実を見るのみである。私々は知らない自己を求めることはできぬと云ふのもかかる意味でなければならない。そこに私が行為をば無にして見る自己のノエシス的限定と考える所以のものがあるのである。」(「一般者の自己限定」)(旧全集5巻414p)
     行為するということは、自己が自己の内容を実現することである。未だ実現していないことを内容として描いて、その実現のために行為するのである。行為しないかぎり、自己の希望や夢は実現しない。
     西田はこうもいう。
     「自愛というものが意識的に自己の存在を限定する・・・ 行為的自己とは客観界を自己実現の手段となすもの、否、その表現となすものである(対象そのものを愛することによって自己自身を愛するものである。)。」 (同5巻「叡智的世界」157p)
     すなわち、人間は客観界、他者、社会、世界の中に価値を発見して行為することが自己実現となる。他者、社会、世界を愛することによって満足感を得て、自己自身を愛するのである。
     7つの価値、まとめれば3つの価値でいいが、いずれも、人や社会の中に、価値を見出して行為していく。そうでないと自己自身を愛することができないというのである。 つらいことがあっても、受け入れて、社会に留まり生きていく、心の健康なありかたがいきがいのある人生に必須となる。病気でなくても、社会から回避、逃避していては、生きがいを感じないで苦悩を感じる。

    今、休んでいる人は

     うつ病や不安障害になって、社会活動から長期間退却しがちであると、生きがいを感じなくなり、長引くと自殺も起きる。社会で生きていく健康な心の使い方を身につけることができる。そのためには、本人が、社会に出たいと強く希望、夢、価値を見出すことが大切である。
     うつ病になると、社会に出ていけなくなり、自己自身を愛することができなくなる。そこで、まず治すことが大切。治れば、社会に出るとか、家族のための家事ができるようになる。そのために、「治す」のだと強い決意を持ち、改善のための行為をする。

    休まず学校、仕事に行っている人は

     一方、今、学校や職場、家庭で、休まずに、一生懸命にがんばっているのに、「死にたくなっている」のであれば、「病気」なのだから、休んで治療する必要がある。人は、生きたい、生きていきがいある人生を送りたいという存在なのだから、「死にたい」というのは、本心からではなく、病気なのだ。学校や仕事を休んで、治療すればいいのだ。薬物療法も心の訓練をする心理療法もある。その後、それからの人生を考えればいい。心の訓練をするのであるから、従来の自分ではなく、新しい人生を見つけることができる。