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    マインドフルネスの自己洞察瞑想療法
     =宗教か非宗教か<死の不安の克服>
    マインドフルネスは貢献できるか

     マインドフルネス心理療法(SIMT)は基本的には宗教ではありません。 宗教と非宗教について見てきました。  マインドフルネス心理療法(SIMT)は、宗教ではないのですが、ところが 、次の記事で、宗教的な苦悩=死の問題にも貢献できるかもしれないと申し あげました。

    長い人生がある人の人生目標

     マインドフルネス心理療法(SIMT)の目標技法の一つが「価値確認の手法 」です。セッション4で、人生の価値の確認の手法を反復演習します。

     「価値」とは、自分が病気でなければ実現したい願いです。それは、た とえ病気が完治しなくても、「こういうことができる自分でありたい」「 病気や障害があってもこういう人生を送りたい」という希望でもあります 。 さて、あなたの場合は、次の7つの領域のうち、どれ(複数)を重視して いるのでしょうか。
    • @【家族・子育て】「現在の家族の平和を維持したい」「家族と平和に暮 らせるようになりたい」「家庭を破壊したくない」「家族の不和を解決し たい」「子どもをうまく育てたい」「虐待しそうであるがしたくない」
    • A【結婚・恋愛】「現在の結婚生活を維持したい」「結婚したい」「離婚 したい」
    • B【対人関係】「今の友人関係を続けたい」「友人が欲しい」
    • C【仕事・家事】「今の仕事を続けたい」「職場に復帰したい」「仕 事に復帰できなくても、家事ができ、買い物に行けるようになりたい」
    • D【教育】「不登校を解消したい」「進学したい」「勉強を続けたい 」
    • E【趣味・社会活動】「ひきこもりを解消したい」「社会に出られる ようになりたい」「他者の苦悩解決を支援する活動に従事したい」「ボラ ンティア活動、社会貢献活動をしたい」
    • F【精神面の成長】「自分をよく知りたい」「自己評価を高めたい」 「苦悩解決のために自信をつけたい」「再発しないための自信をつけたい 」「生死観を確立したい」「病気(がんなど)がありながらも強く生きて きたい」「自己存在の意味について知りたい」
     こういう現実的な願いを「価値」といいます。個人の人生上の価値です 。他者と比較してはいけません。自分のスキルを考慮した実現可能な願い です。親や他者から強迫されたものでもありません。他者の評価を気にし たものでもいけません。自由意志により選択されたものです。
     ここでいう価値は、今この瞬間からそれに向かう行動が開始されるよう な、実践をうながすものであり、意志的行動への指針となるものでなけれ ばなりません。現在の一瞬一瞬の行動を決意し、実行を開始する目標とな るものです。

    残された生命が長くないかもと思う人の人生の目標とは

     年齢にかかわらず「がん」であることがわかった場合とか、高齢で病気 である場合、「死」を意識するようになるでしょう。そのような場合、上 記の人生の価値のうち、1から6までは、急に優先度が低くなるでしょう 。もう、これらの価値は求めてきた、やるだけのことはやったという意識 があるでしょう。死を意識する場合、残された命の期間の人生の価値は7 の問題のみが大きく浮上してくるでしょう。そして、もう対象的に設定さ れた「価値」探求では心は満たされません。こ ういう問題にも、マインドフルネス心理学が役に立つでしょう。
     残されているという命の期間に、「死の覚悟」について、とりくむこと です。 キリスト教や浄土教などの死後のことを教えてくれる宗教を信仰する道が あります。ほかに、宗教としての襌もあります。
     マインドフルネスならば、2つの道が考えられます。 一つは、マインドフルネス心理療法(SIMT)および、もう少し深いマインド フルネス(叡智的自己レベル)にとりくみ、死の不安があっても最後まで 自分の生を肯定的に生きるのです。非宗教レベルですが、西田哲学的な心 理学として、宗教ではないレベルで論理的に理解可能です。元来、西田哲 学は深い仏教、キリスト教、浄土教の宗教を哲学的に説明しています。
     もう一つは、宗教的レベルのマインドフルネス実践に取り組むことです。 宗教的レベルのマインドフルネスとは、東洋的、襌的なものです。 「襌」といえば、さまざまな解釈がありますが、西田哲学や鈴木禅学でい う絶対無、東洋的無を基礎とするものです。 すでに、生きている時から、自己のない瞬間に生きている。自己の根底は、生死、時間・苦楽もないものであるというのです。その自己の根底を洞察して、自己の死を覚悟する のです。これを従来の仏教の方法ではなく(公案ではがん患者さんは取り組みにくい)、 マインドフルネス心理・哲学的な実践方法で取り組めないでしょうか。
     どの道も短期間では、死の問題を覚悟するのは難しいかもしれません。 だから、定年になったら、60歳になったら、この問題に取り組み始める ことをすすめたいと思います。
     しかし、それでもなお、間際になるまで、取り組まなかった人に、ターミナルケアのためのマインドフルネスも当然、研究すべき価値があります。「死ぬときに公開すること25」の中に、この問題があるのです。死に近い人が後悔することの中に、「生と死の問題を乗り越えられなかったこと」「神仏の教えを知らなかったこと」だそうですから。死に近い身体と心では、教えてくれる宗教者の元に通うことは難しいでしょう。
     今日は、大晦日。来年は、本が出版されますので、私にとって、転機に なります。広く、深く、マインドフルネスを探求し普及のために、できる ことを考えてまいります。被災地にも参ります。このブログに、来年もま たご訪問をお願いします。 来年は、みなさまにとって、すばらしい年になりますように。
    (続く)
    非宗教的マインドフルネス
     =宗教との違い