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西田哲学目次
場所の論理(4)
=「絶対無の場所」と「絶対無の自覚」
=マインドフルネス心理療法と西田哲学
マインドフルネス心理療法は禅の哲学(多分、人の心の真相の哲学)によって心の病気がマイン
ドフルネス心理療法で救われる構造を西田哲学(西田幾多郎)の言葉で簡単に見ている。
「絶対無の場所」と「絶対無の自覚」
自己の根底は自己なくして、すべてのものがある場所があり、絶対無の場所という。
(⇒
「絶対無の場所」)。
自己が絶対に無であるという自覚が絶対無の自覚である。(⇒自覚の訓練)
「自覚的限定というのは場所が場所自身を限定することである。見るものなくして見ることであ
る、即ちそれは直覚するということである(巻6-94)。こういう直覚においては自己がなく、真の事
実があるのである。「我々の個人的自己の尖端に於いて自己が自己を失ったと考えられる所に、真
の事実というものが見られるのである(巻6-111)。
主客未分ともいうが、実は実体としての自己がないのである。「これが自己である」と意識されると、そういう意識を起こしているものがあるので、もっと奥に意識するものがあることになる。
どこまでも深く自己を探求していくと、
自己(主観)と客観とが分かれていない事実に「撞着」(ぶちあたる)する。自己根底の場所的において、主観と客観が一つである。そこから主観と客観が分かれてくる。自己根底の場所は客観も内的事象も、すべてのものが生まれるところであるという自覚が生まれる。自己は絶対に無であり、そこからすべてのものが生まれる。もはや自己が自覚するのではなく、世界が自覚する、「絶対無が自覚」するのである。無にしてそこにおい
てすべてのものが現われる場所が「絶対無の場所」である、自己の根底である。真の自己である。見るものなくしてみる、見る自己はない、自己は無であるから
、その場所に於いてあるものは、客観である。すべてが自己根底の「絶対無の場所」に於いてあるものとなる。
マインドフルネス心理療法へ
自己が無であることの自覚は難しい。すべてが、自己の根底の場所においてあるものであること
の自覚は難しい。だが、なるべく自己の見解を用いない実践はかなりできる。自己の見解、評価を
抑制して、種々のことをあるがままに包み映して受け入れることが多くなるほど、葛藤を起さなく
なり、苦悩が軽くなる。あるがままに映すということが、直覚において起きているのである。映す
努力をすること自体が自己を働かせているのだが、やむをえない、初期にはやむをえない努力であ
る。
感情や症状、見える状況など「不快事象」がつらいと思うのは、「思惟」(思考)による、判断、
評価、比較、分析など自己の見解である。直覚においては、そういう自己見解はない、その時には
事実そのままであり、葛藤はない。心の病気を治すために、見るものも聞くものも、苦痛のすべて
も「絶対無の場所」に映すかのようなトレーニングを繰り返す。
見る、聞く、感じる、考えるなどの作用があることを無評価で観察し、直後にその実相を観察し
て「名前」をつける訓練をカウンセリングの初期に行うが、これは、意識現象の言語化のトレーニングを行
うのである。自己のさまざまな作用と対象を論理的に知るのである。感覚、思考、感情とはいかなるものであるかを「反省」によっ
て知るのである。自己の心の上(心の場所)において
、直後に反省して知るのである。そういうトレーニングを行うのである(「機能分析法」とい
う)。なるべく思考、判断に移らず(それは直覚から離れる、事実ではない)にいることが、自己
を立てないことである。自己なし、絶対無の働きに習うのである。自己と対象を認めていて
言語化するのでは、事実からそれるのであるが、治療の初期段階ではやむをえない。
どのようなプロセスで苦悩が起きるかを論理的に、神経生理学的に理解するために必要である。それ
でも、自己の評価の思考を働かせないことが苦痛が小さいことを実感するようになる。トレーニングがすすむと
、無意識的に自己の見を立てずに、行動するようになってくる。自己のない直覚、反省(自覚)が
なめらかに進行するようになる。自己を立てないで、事実を見るようになっていく。直覚(直観)の
最中は自覚がない、直観の直後に反省してその事実を知る、自己を知る、これが「知識」である。
直観によらない知識は真実ではない。「事実が事実自身を限定するという意味に於いて我々の知識
成立の根底となると考えるのである。(巻6-161)」
自己の根底は、嫌悪や罪悪、無価値など一切の人間の評価を超越したものである。うつ病に見ら
れる自己無価値観、罪悪たる自分などは自分の思考作用が作る虚妄である。自己無価値観、罪悪感は、自己の見解であり
、誤って概念化して思惟した自我像を嫌悪、否定、罪悪視していて苦悩している。真の自己ではないものを自己であると錯覚して否定、罪悪とする意味で誤っているのである。
作用、対象、作用するものを観察するトレーニングを繰り返すことによって、
自分のあるがままを知ることによって、うつ病の症状が軽くなる。自我を立てる、自己の見解を捨てて、自分の価値実現の行為に真剣に向かう。苦しい中にあっても、自分は自由意志があり、行動する。
(続)
- (巻X-YY)は、「西田幾多郎全集」(1987-1989)、岩波書店の巻と頁。