場所の哲学=西田哲学
西田哲学は東洋の哲学を説明したものです。小阪国継氏は次のように評価してい
ます。西田哲学には、場所の論理、絶対無、絶対矛盾的自己同一、行為的直観、叡
智的世界、「作られたものから作るものへ」などの哲学があります。場所の論理も
重要です。
「場所の思想は、従来の西洋的思惟方法を根底から一変するものであった。それ
は西洋的「有の論理」に対する東洋的「無の論理」ともいうべきものであって、そ
れは、有るものの根底に、自ら無にして自己自身の内にこれを見るものを想定する
立場である。一言でいえば、有るものの根底に、これを包む絶対無の存在を想定し
、そして前者を後者のいわば映像として考える立場である。この意味で、「場所」
の論理は東洋的無の思想の哲学的論理化であったといえるであろう。」
(「西田幾多郎の思想」小阪国継、講談社、154頁)
対象的に意識される「有」は、絶対的一者の映像と見る(*1)。
マインドフルネス心理療法には、マインドフルネスやアクセプタンス、価値など
の技法があるが、これは、東洋の哲学を背景にしている。もちろん、西洋的な見方による
マインドフルネス、アクセプタンス、価値もある。根底の哲学が違えば、微妙なところで違ってくる。心の問題は少しのことで大きく違ってくる。
鏡のように「映す」、不
快事象があっても「包み」こんで、無評価で観察することを指導する。これは、「
自分を無にして映し包む」という「場所の論理」が根拠である。このような心のト
レーニングがうつ病や不安障害の人の精神作用を変えて治癒に導く。それによって
、自己自身の哲学にも変化を起こして、長い人生に好影響をももたらす。精神疾患
を治す以上の効果がみられる。
ところが、欧米のマインドフルネス心理療法のうちには、自己を無にせずに、自
己(自我、エゴ)を残して不快事象を自己の外に対立的に見て、単に「技法」とし
て用いる場合がある。これでは、東洋哲学を背景にしたものとはいえない。治療効
果に差異が生じるだろう。
マインドフルネスやアクセプタンスが東洋の禅、東洋の哲学を応用したのであれば
、単なる呼吸法やヨーガなどとは異なるものである。欧米のマインドフルネス心理
療法には、東洋の哲学を考慮せず、単なる技法としてマインドフルネス、アクセプ
タンスを利用したものがある。哲学の背景のない形式的技法になる。適応範囲に限界があるだろう。
マインドフルネス心理療法といっても、単なる形式のマインドフルネスと東洋の
無の哲学を背景にしたものがある。
東洋の本家である日本には、
東洋の禅の哲学(西田哲学が論理化)を背景にしたマインドフルネス心理療法を展開したい
。
自己洞察瞑想療法(SIMT)が欧米のマインドフルネス心理療法と置き換えることがで
きないという理由である。
- (注)
- (1)
「私は絶対的一者と云ふものを・・・何処までも云はば映像と考えへるのである。然らばと云って、それを単に虚幻と考へるのかと云うはるればさうではない。現象即実在である。」
(西田幾多郎旧全集、岩波書店、巻10,531-532頁)