場所の哲学=西田哲学

 西田哲学は東洋の哲学を説明したものです。小阪国継氏は次のように評価してい ます。西田哲学には、場所の論理、絶対無、絶対矛盾的自己同一、行為的直観、叡 智的世界、「作られたものから作るものへ」などの哲学があります。場所の論理も 重要です。  対象的に意識される「有」は、絶対的一者の映像と見る(*1)。 マインドフルネス心理療法には、マインドフルネスやアクセプタンス、価値など の技法があるが、これは、東洋の哲学を背景にしている。もちろん、西洋的な見方による マインドフルネス、アクセプタンス、価値もある。根底の哲学が違えば、微妙なところで違ってくる。心の問題は少しのことで大きく違ってくる。 鏡のように「映す」、不 快事象があっても「包み」こんで、無評価で観察することを指導する。これは、「 自分を無にして映し包む」という「場所の論理」が根拠である。このような心のト レーニングがうつ病や不安障害の人の精神作用を変えて治癒に導く。それによって 、自己自身の哲学にも変化を起こして、長い人生に好影響をももたらす。精神疾患 を治す以上の効果がみられる。
 ところが、欧米のマインドフルネス心理療法のうちには、自己を無にせずに、自 己(自我、エゴ)を残して不快事象を自己の外に対立的に見て、単に「技法」とし て用いる場合がある。これでは、東洋哲学を背景にしたものとはいえない。治療効 果に差異が生じるだろう。 マインドフルネスやアクセプタンスが東洋の禅、東洋の哲学を応用したのであれば 、単なる呼吸法やヨーガなどとは異なるものである。欧米のマインドフルネス心理 療法には、東洋の哲学を考慮せず、単なる技法としてマインドフルネス、アクセプ タンスを利用したものがある。哲学の背景のない形式的技法になる。適応範囲に限界があるだろう。
 マインドフルネス心理療法といっても、単なる形式のマインドフルネスと東洋の 無の哲学を背景にしたものがある。 東洋の本家である日本には、 東洋の禅の哲学(西田哲学が論理化)を背景にしたマインドフルネス心理療法を展開したい 。 自己洞察瞑想療法(SIMT)が欧米のマインドフルネス心理療法と置き換えることがで きないという理由である。
(注)
(1)
「私は絶対的一者と云ふものを・・・何処までも云はば映像と考えへるのである。然らばと云って、それを単に虚幻と考へるのかと云うはるればさうではない。現象即実在である。」 (西田幾多郎旧全集、岩波書店、巻10,531-532頁)