自己洞察瞑想療法と西田哲学
=禅の哲学、西田哲学を心理療法に
序節 背景
自己洞察瞑想療法( SIMT: Self Insight Meditation Therapy )はマインドフルネス心理療法の一種である。アメリカのマインドフルネス心理療法のうちリネハンの「弁証法的行動療法」は禅の哲学(多分、人の心の真相の哲学)を中核とした治療技法によって心の病気の治療をする心理療法を開発したという。アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)は禅を参照したのではなく、行動分析学の発展の末に似たところへ来たという。
(ACTには行動分析の豊かな技法がある。しかし、背景の哲学は異なるかもしれない。哲学が異なれば、手法や効果、対象も異なってくるかもしれない。差異の研究は今後の課題である。)
自己洞察瞑想療法(SIMT)は禅の心理療法化である。禅には西洋と異なる東洋の哲学があると言われる。しかし、禅は言葉での論理的な説明がなく、背景にある哲学の解釈が研究者(禅学や仏教学による)によってまちまちである。そこで、論理的に説明したと言われる西田哲学(西田幾多郎による)を禅の一つの哲学解釈として、自己洞察瞑想療法の背景の哲学とする。
心理療法に効果があるものとして、禅の哲学の一つの解釈として西田哲学を参照する。
禅の哲学と西田哲学との関係は、その方面の研究者にゆだねる。
第1 禅も西田哲学も心理療法も「自己」の探求
認知療法は西田哲学でいう行為的直観の後の「反省」、さらに思惟(思考)を用いて、患者の「思想、知識、考え方、受け止め方」を変えようとする心理療法であると言えよう。しかし、多くのマインドフルネス心理療法は思考のみを扱わず、思考
も含めてすべての精神作用を統合する「意志作用」を問題にする。そして意志作用を含めて種々の精神作用や対象が「於いてある場所」を自己の根源として、真の自己として探求している。こうした自己の精神作用を観察(瞑想となる)によって知ることが、うつ病や不安障害などの改善に効果がみられる。
次のような直観、反省・自覚(直前の直観における自己の作用を知る。対象ではなく)、意志、行為などの実の有様をゆがめられた見方でなく冷静な観察によって知ることが含まれる。種々の精神作用が動いていくのをその瞬間に観察し自覚するということが「瞑想」である。瞑想を用いるのが禅や心理療法の課題実践である。実践を離れて、論理的に説明するのが哲学や心理療法の心理教育である。
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自己とは何か、苦悩の対象となる客観的存在とは何か、それを見る作用、その作用を見る「作用の作用」を探求しています。
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客観と主観の別がない行為的直観に生きる
- 自己の細工を用いない(直観の時に駆動させる本音を停止する。本音は、見る時にすでに思惟
(価値崩壊の思想、知識。自分はだめ、できない、など)、感情(嫌悪、不安など)、意志(回避
、逃避、依存など)が働くので、それに気づき(反省)違う直観、意志を起すことが必要である。
- 自己自身の作用を反省するに留めて作用の対象を次々と変えていく連想思惟にはいらない。
- 短絡的な楽への習慣的な行為(苦痛からの回避、逃避、依存、欲望充足など)を変えるために
個人の願い(長期的な)目的(家庭や社会での役割を果たせるようになりたい)をめざした意志
=行為的直観=を行為するトレーニング。
- その他、西田哲学のような自己や世界(苦痛の対象)の哲学に基づく種々のトレーニングを行っていくが、治療
者から助言されて意識的に訓練する直観、思惟、意志が習慣化されて行為的直観的「無意識的」に
行われて葛藤、苦痛を起さないようになること。
「病気であることを忘れて薬を服用するのを忘れていました」ということから回復が自覚される。
苦痛にならない行為的直観の生活が多くなって、自分の「苦痛」や「自分はうつ病者である」「パニック障害である」「対人恐怖症である」と苦
痛や自己を対象化して分別思考しなくなっているので
ある。1,2年の訓練の後、
「いつのまにか、自分がうつ病、パニック障害であることを忘れていることが多いです。」という
ことが1カ月も続けば「完治」である。
心理療法を受けるクライアント、カウンセリングを受ける患者さん(心の病気の方)にはやさしく説明する必要がある。臨床の現場では哲学的な言葉ではなく、一般の人が理解できるような言葉で説明する必要がある。
これは治療者のためのテキストである。他者に自己洞察瞑想療法を教える立場の治療者が理解すべき背景の哲学を簡単にみておくものである。西田哲学を詳細に学習したい人は参考文献にあたっていただきたい。