(⇒目次)
欧米の心理療法の潮流=弁証法的行動療法(3)
リネハンの弁証法的行動療法
従来の心理療法でもよく援助できなかったのに、マインドフルネスを活用して難しいパー
ソナリティ障害の援助ができるようになったのが、リネハンの弁証法的行動療法である。
これも、種々の意識作用の底にあるものを体験するように求めている。賢明な心はかなり重
要とされている。パーソナリティ障害の改善の肝である。
本書は700ページに及ぶ大著であり、セラピスト側の手法が大部分であるが、クライエ
ントが体験すべきこととして、賢明な心が重要視されている。
そうなると、援助するセラピストも当然、賢明な心を体験しなければならない。「賢明な心」は、42頁、
288-291頁、297頁、326頁に言及されている。
次の説明から考えると、自己洞察瞑想療法(SIMT)の意志的自己や叡智的自己のレベル
のようである。「直観」は叡智的自己の作用であるから。感覚や理性よりも深いという。
「DBTにおいて、患者には精神の三つの主要な状態の概念が示される。「合理的な心」
、「情動の心」、そして「賢明な心」である。」(境界性パーソナリティ障害の弁証法的行動療
法」 マーシャM・リネハン、誠信書房、288頁)
「「賢明な心」は、「情動の心」と「合理的な心」の統合であり、またこの二つを乗り越えるも
のでもある。「賢明な心」は、情動経験と論理的分析に直観的な理解を付け加える。直観
の定義は数多くあるが、デイクマンによれば、それは理性による媒介を受けず、感覚を通じ
て受け取られたものを超越していく知であるという。」(同上、289頁)
パーソナリティ障害のクライエントは、賢明な心を体験しなければならない。
忍耐と努力が必要であるといい、年月により気づきや自然治癒はありそうもない。しかし、この心理療法で、パーソナリティ障害が改善する希望が出てきた。マインドフルネスは仏教に似ているが、リネハンは仏教がなしえないことをなしとげた。
「この後、「賢明な心」に入り込むことを求められたときには、患者はこのス タンスをとり、
内的平穏の中心から反応するよう教示される。これは井戸の中深くに降りていくことにたと
えられよう。井戸の底の水がーそれは実際、地下 の大海なのだがー「賢明な心」なのであ
る。だが下に降りる途中で、中蓋 がしばしば行く手を阻む。その中蓋は非常に巧妙に作ら
れているため、井戸の 底には本当に水がないと信じてしまう場合もある。つまり、中蓋が井
戸の底の ように見えてしまうのだ。そのため、患者がそれぞれの蓋をいかにして開ける か
考え出すのを助けることがセラピストの課題となる。おそらく蓋には錠前が かかっており、
患者には鍵が必要であろう。あるいは、釘で打ち付けられてい るなら釘抜きが必要だろう
し、接着剤で閉じられているならノミが必要である 。しかし、忍耐と努力をもってすれば、井
戸の底にある知恵の大海に到達す ることができるのだ。」(同上、290頁)
クライエントが体得すべきマインドフルネスの心得は、自己洞察瞑想療法(SIMT)の手法と
、さらに、直観を訓練することが加えられるだろう。
「賢明な心」をクライエントに習得してもらうことは容易ではないという。
「「賢明な心」の活性化には、患者が本来持っている知恵を認証する大きな潜在力がある
が、患者の知恵を犠牲にしてセラピスト自身の知恵を認証するためにも用いられる危険も
ある。・・・・
治療的エンカウンターをめぐって長年にわたり検証されてきた伝統やルールが完全に破
られ、場合によっては、それが患者やセラピストに恐ろしい結果をもたらすこともある。それ
では本末転倒である。」(同上、297頁)
弁証法的行動療法のマインドフルネスはかなり深く、容易ではなさそうである。感覚や身
体の動きのマインドフルネスではとても効き目がなさそうである。
弁証法的行動療法のマインドフルネスはかなり深く、容易ではない。
マインドフルネスには、さまざまな深さのものがある。マインドフルネスの研究者、援助者が
増えているようだが、深いマインドフルネスがあることを認め、そこへの扉を塞がないように
しなければならない。