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欧米の心理療法の潮流=ジョン・カバト・ツィンのMBSR(1)

ジョン・カバト・ツィン氏の哲学
 根底にある東洋哲学
  =全体性の体験

 マインドフルネス&アクセプタンス(M&A)を世界的にしたジョン ・カバト ・ツィン氏のマインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)にあ る7つの態度(ツイン、1993)を見ました。東洋哲学に類似しています 。  MBSRは、上記の7つの態度で、静座瞑想、ヨーガ瞑想、ボディスキ ャンを忍耐強く続けるものである。
 7つを見てわかるように、MBSRには、今ここ、マインドフルネス、 アクセプタンス、執着からの解放などが含まれている。 アクセプタンスも重要である。同様の流れとされるアクセプタンス・ コミットメント・セラピー(ACP)は、アクセプタンスを前面に出して いる。いずれにしても、マインドフルネス、アクセプタンスは単独で はなく、相互に補う関係にある。











 もう一つ、これら7つを綜合するような理論が主張されている。 「全体性の体験」である。上記7つのもとになる思想、哲学の位置に ある。





 ツインのMBSRにおいて”全体性”が非常に重要な意味をもっている が、8週間程度の瞑想トレーニングの実践では、「最初のステップ」 であり、「”全体性”と”内的な結びつき”を理解するのは、一生の 仕事」であるという。しかも、”全体性”は、「生まれたときからも っていたもの」という。 東洋にあって、これらの特徴を持つものは、仏性、絶対無、襌の実践 で自覚するという真の自己であろう。 すべての人の根底である、西田哲学では、絶対無の場所という。すべての人の共通のものである。

 ジョン・カバト・ツィンのMBSRの理論的背景には、これがあるようだ。 MBSRを受ける末端のクライエントの人は理解する必要はないだろうが、 インストラクターを育成する人は知らざるをえないだろう。受講者(支援者になろうという人)から質問される 可能性があるから。しかし、 日本人が、ツインに「”全体性”を教えてください」といえば、笑わ れるに違いない。日本、東洋にあるものだというから。

 カバット・ジンの「全体性」は西田哲学でいう「一即多、多即一」と言う絶対無の自覚に類似する。 この「一」は、全体的一である、世界である。「多」は、無数の個人 である。世界の中に無数の個人がある。無数の個人の中に世界がある 。華厳経にも類似の表現(因陀羅網)がある。宮沢賢治の童話に「インドラの網」がある。 宮殿に網があり、網の結び目に珠があり、その珠が他の珠のすべてを映しているという。網全体が一つの網であるが、多数の珠が全体を映している。
 ツインの”全体性”は、こうした日 本の文献にあるものと関係があるだろう。
 ツインのMBSRを普及するにあたって、こうした東洋哲学の理解と体験 が必要になるが、そこに、むつかしさがある。欧米のように、さまざまな領域に 適用してみたいという人がどれほどおられるのだろうか。

注) ジョン・カバト・ツィン 1993「生命力がよみがえる瞑想健康法 」春 木豊訳、上記の(px)

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