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欧米の心理療法の潮流=ジョン・カバト・ツィンのMBSR(1)
ジョン・カバト・ツィン氏の哲学
根底にある東洋哲学
=全体性の体験
マインドフルネス&アクセプタンス(M&A)を世界的にしたジョン
・カバト
・ツィン氏のマインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)にあ
る7つの態度(ツイン、1993)を見ました。東洋哲学に類似しています
。
MBSRは、上記の7つの態度で、静座瞑想、ヨーガ瞑想、ボディスキ
ャンを忍耐強く続けるものである。
7つを見てわかるように、MBSRには、今ここ、マインドフルネス、
アクセプタンス、執着からの解放などが含まれている。
アクセプタンスも重要である。同様の流れとされるアクセプタンス・
コミットメント・セラピー(ACP)は、アクセプタンスを前面に出して
いる。いずれにしても、マインドフルネス、アクセプタンスは単独で
はなく、相互に補う関係にある。
もう一つ、これら7つを綜合するような理論が主張されている。
「全体性の体験」である。上記7つのもとになる思想、哲学の位置に
ある。
「”全体性”は、生まれたときからもっていたものです。つまり、
”全体性”という視野をもつことで、今までとは違ったとらえ方がで
きるようになり、分裂した思考も、恐怖、弱さ、不安なども乗り越え
ることができるということです。絶望さえも乗り越えることができる
のです。
しかし、”全体性”や”内的な結びつき”を理解するのは、一生の
仕事です。瞑想トレーニングは、それらを理解するために意識的にふ
みだした最初のステップにすぎないのです。」(p285)
「「マインドフルネス瞑想法」のトレーニングは、一般的に行われ
ているリラクセーション・テクニックやストレス対処テクニックとは
明らかに異なっています。最も大きな違いは、このプログラムが、
”全体性”を直に体験するための扉を提供しているという点です。」
(p289)
「これまで、多くの偉大な思想家たちが、”全体性”という概念や
、自分の人生の中で”全体性”をどのように認識していくか、という
ことを追及してきました。スイスの偉大な心理学者ユングは、東洋の
瞑想の伝統を高く評価していました。彼は、「東洋の冒険的な思想家
たちは、この問題(”全体性”への到達)を二千年以上も追求してき
た。この点、西洋の方法論や哲学理論などの業績は、東洋の業績を前
にすると色あせたものになってしまう」と書いています。ユングは明
らかに、瞑想と”全体性”の認識との関係を理解していたといえます
。」(p290)
ツインのMBSRにおいて”全体性”が非常に重要な意味をもっている
が、8週間程度の瞑想トレーニングの実践では、「最初のステップ」
であり、「”全体性”と”内的な結びつき”を理解するのは、一生の
仕事」であるという。しかも、”全体性”は、「生まれたときからも
っていたもの」という。
東洋にあって、これらの特徴を持つものは、仏性、絶対無、襌の実践
で自覚するという真の自己であろう。
すべての人の根底である、西田哲学では、絶対無の場所という。すべての人の共通のものである。
ジョン・カバト・ツィンのMBSRの理論的背景には、これがあるようだ。
MBSRを受ける末端のクライエントの人は理解する必要はないだろうが、
インストラクターを育成する人は知らざるをえないだろう。受講者(支援者になろうという人)から質問される
可能性があるから。しかし、
日本人が、ツインに「”全体性”を教えてください」といえば、笑わ
れるに違いない。日本、東洋にあるものだというから。
カバット・ジンの「全体性」は西田哲学でいう「一即多、多即一」と言う絶対無の自覚に類似する。
この「一」は、全体的一である、世界である。「多」は、無数の個人
である。世界の中に無数の個人がある。無数の個人の中に世界がある
。華厳経にも類似の表現(因陀羅網)がある。宮沢賢治の童話に「インドラの網」がある。
宮殿に網があり、網の結び目に珠があり、その珠が他の珠のすべてを映しているという。網全体が一つの網であるが、多数の珠が全体を映している。
ツインの”全体性”は、こうした日
本の文献にあるものと関係があるだろう。
ツインのMBSRを普及するにあたって、こうした東洋哲学の理解と体験
が必要になるが、そこに、むつかしさがある。欧米のように、さまざまな領域に
適用してみたいという人がどれほどおられるのだろうか。
注) ジョン・カバト・ツィン 1993「生命力がよみがえる瞑想健康法
」春
木豊訳、上記の(px)
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