第2節 機能的文脈主義からみた研究・実践行動
機能的文脈主義における科学はア・プリオリな真理・法則の発見ではなく、クライアントに対する「予測と影響」という統合的なゴール達成のために有用な言語的ルールを産出することである。そして、心理療法として他者に報告されて機能を果たす。
「機能的文脈主義に基づくACTの基本的な研究スタイルについて述べる。機能的文脈主義は上述したように、対象に対する「予測と影響」という統合的なゴールを選択する。このゴール下において、科学的な研究活動(以下、科学とする)はどのような機能なのか。その機能とは、そのゴール達成のために有用な言語的ルールを産出することである。そして、科学的な研究者(以下、科学者)は、そのようなルールを産出するための「ことばの作り手(words makers;; Hayes, 1991)」なのである。決して、科学の機能はア・プリオリな真理・法則の発見ではなく、科学者はその真理・法則を特権的に知り得る司祭的な役割でもない。さらに、そのルールは産出されるだけでなく、他者に報告されねば機能を果たせない(望月,1997)。そのような意味では、科学者はシンガー・ソングライターと類似の機能と言ってもよいかもしれない。」(注1、26頁)
「科学がそのような機能であるとした場合、客観性、因果律、データはどのように捉え直されるだろうか。」
- 客観性
「まず、客観性とは、科学者が対象に対してどのような影響を及ぼしているかを常時モニターするための方法論的スタンスであると捉えることができる(望月, 1989)。決して、対象を一方的に知るためのスタンスではない。この場合、求められる客観性の精度は当該の言語ルールに要求される精度に依存することとなる。また、完全に対象とは独立な観察的視点も存在ない。つまり、客観性とは、科学者とその対象との距離を常時正確に把握し、科学者からの過度な干渉を及ぼさないように、あるいは対象の属性に問題を還元しないようにするための倫理的スタンスであると言えよう(望月,1993)。」(26頁)
- 因果律
「次に因果律とは(上述の客観性というスタンスにおいて)、「予測と影響」を可能にするための効率的な言語形式であると捉えることができる。「if ‥‥then‥‥」という「独立変数ー従属変数」で表される関数関係は、研究者の具体的なアクションとそれによる対象への影響を表記する最善な形式なのである。さらに、その分析ユニットは、研究者のゴールによって可変である。つまり、ある場合には従属変数であったものが、別の場合には独立変数となることもある。またユニットの大きさも研究者の扱うゴールによって変わることとなる。」(26頁)
- データ
「最後に、このような文脈において、従属変数である測定データが数値化されたものであるか否か(一般的には「量的」データか「質的」データかという問題)ということは、ア・プリオリに問題にされることはない。
当該のゴール達成に全く有用でないようなデータは、数値化(量的)であっても何ら意味を持たない。逆に、ゴール達成に有用ならば、記述的(質的)データであっても意味を持つのである(武藤, 2001)。」(27頁)
サービスの科学
「以上のように、従来の科学的な方法論の機能に対して、対象を一方的に検討するという意味で「知る科学」と呼ぶとすれば、機能的文脈主義における科学は「サービスの科学」と呼ぶことができるだろう(望月,1989)。機能的文脈主義のスタンスをそのように呼ぶのは、相手の状況に最適な状況をいかに自分が用意できるかをモニターし、修正していくというサービス提供のスタンスに近いからである。このスタンスは、広義の対人サービス文脈に含まれる心理療法に対してより適合的であると考えられる。」(27頁)
「機能文脈主義では、対象に対する「予測と影響」という統合的なゴールを選択するからである。ただし、主たるゴールは「影響」を引き起こすような環境的変数の同定とその操作である。「予測」はあくまで、その環境要因が同定できた後に結果的に達成される副次的なものという位置づけである。「予測」のみが可能となっただけではゴールが達成されたことにならない。よって、セラピストが直接的に影響不能な脳機能や過去の経験は原因として捉えないのである。つまり、機能的文脈主義に基づくセラピストは「心身二元論(dualism)」や「過去・現在の二元論」の立場を採らず、「環境一元論(=行動一元論)」や「現在一元論(今、ここ)」の立場を採るのである。
しかし、クライエントが一般的に持っている「心身二元論」的な発想それ自体を否定するということを意味しない。例えば、クライエントが心身二元論的な思考をしていても、不安や強迫観念を持っていてもよいのである。ただし、それらに縛られることなく、適応的な行動が生起するようになればよいのである。つまり、セラピストは、分析をする際に使用する枠組みと、実際にクライエントと接する際に使用する枠組み(言葉遣いを含む)とを使い分けるのである。(Heyes, Pistorello, & Walser, 1995)。」(28頁)
科学者の方法は「現在一元論(今、ここ)」「心身一元論」による立場から治療技法を用いるが
クライエントが「過去・現在二元論)」「心身二元論」の思考をもっている時に、その思考を批判はしない。思考の内容にはたちいらずに治療することができる。思考内容を変えなくても、適応行動を生起させることができる。
認知療法的技法は用いない
こうして、マインドフルネス心理療法は認知療法的技法を用いず、東洋の哲学に基づく手法と類似の心理療法として結実した。
「上記のような「見たて」をした場合に、従来の認知行動療法(認知療法を含む)のような言語「内容」のみに依拠した手続きでは対応不能なのである。その結果、言語「文脈」的なアプローチを採ることになるのである。」(29頁)
「恐らく、ACTの文献には100にのぼるディフュージョン(連合の解消)の技法が書かれているだろう。その中に伝統的なCBTが行なってきたような思考の評価や反駁を含む技法は一つもないのである。」(ヘイズ、9頁)
「ACTは意識的に東洋的な思考に基づいて成立したわけではない。それにもかかわらず、このような東洋とのつながりが直接生じたことに、それ以上の驚きを感じざるを得ない。おそらく、行動分析的な視点から、言語がどのように機能しているのかを考えていくことで、古(いにしえ)の伝統とよく似た識見へ辿り着いたのであろう。」(ヘイズ、9頁)
機能的文脈主義は、東洋の哲学にある「現在一元論(今、ここ)」の立場を採り、「過去・現在の二元論」の立場を採らない。「心身一元論」による立場であり、「心身二元論」を採らない。
(注)
- (1)「アクセプタンス&コミットメント・セラピーの文脈」武藤崇、ブレーン出版、
16頁。以下 (頁)は同書。