第4節 臨床の実務には精緻な理論理解は不要
こうした関係フレーム理論の説明を読むといかにもむつかしい。そこで、「このような理論が理解できないと、この心理療法を習得できないのか」というおそれをいだくセラピスト、ボランティア(希望)の人が出てくるだろう。しかし、そういう懸念に備えている。
実際の臨床は、このような理論が十分にわからなくても利用できるようにしている。精神分析の深い素養がなくても習得できる。
<第1>理論がむつかしければ習得する人がいない
マインドフルネス心理療法は、多くのプログラムがある。弁証法的行動療法、マインドフルネス認
知療法、行動活性化療法(BA)、自己洞察瞑想療法(SIMT)、そして、以下に引用する著書で紹介されてい
るアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)などがある。
これらを総称して「マインドフルネス心理療法」と呼ぶことにする。
マインドフルネス心理療法は、むつかしい精神分析が理解できなくても実行できて効果が得られるような心理療法として工夫している。
むつかしい哲学を理解しないと使えないような心理療法ならば習得したいと思う人がいなくなる。そうすると
「上述の第2〜4節において、RFTが精神病理や援助手続きを統一的に検討できることを示してき
た。しかし、このままではACTが実際に臨床的場面で使用される可能性は極めて低い。なぜなら、
第1〜3章で示してきたような行動分析学の哲学や理論を充分に理解・使用することが必要とされる
からである。」(1)84頁
「特定の心理・行動的問題状況が解決されないで放置されることにもなる。そのようなことを防ぐために提供されたのが、第5〜9章で詳細に述べられるACTの精神病理(心理的非柔軟性)/援助手続き(柔軟性)モデルである。」
「そこでは、機能的文脈主義やRFTの理解が不十分だとしても、ある程度ACTを使用して効果を得ら
れるようになっている(しかし、機能的文脈主義やRFTが全く理解できないという状態なら使用しな
い方が賢明である)。」(85頁)
<第2>社会に貢献するのは精緻、正確性ではなく、治療効果が高いか
どんなに正確で緻密な分析のある心理療法であっても、ふつうのセラピスト、カウンセラーが理解
することがむつかしい心理療法は社会の役には立たないのである。割合、容易に習得できる心理療法
でないと普及せず、クライアントを救済できない。
正確性や緻密性があるためにテキストが膨大で理解するのがむつかしいならば、セラピストも学ぶ意欲がなく、社会の役に立たない。一方、おおまかで
あっても、セラピストが学習する意欲が起きる程度であれば多くのセラピストが学び、クライアント
への指導が容易であって、問題が治癒、改善すれば、役にたつ心理療法である。
「また、第1部とは異なり、より実践的な表現方法で1)〜4)を記述してきた。そのため、行動
分析学の分析枠組みで記述する方法と比べると正確性を欠いた表現が多く使用されている。
しかし、機能的文脈主義的に考えれば、理論的に正確な記述が実際にセラピストの適切な援助反
応を生起させないとすれば、そのような記述は「正しくない」ということになる。そこで、本章はセ
ラピストの適切な援助反応を生起させるために、より実践的な表現方法を採用した。ただし、理
論的・科学的な捉え方が実践場面においても重要であることには変わりはない。そのような捉え方は
、個々のクライエントに応じた柔軟で創造性が要求される援助を行なうのに重要だからである。」(135頁)
習得が容易だから、うつ病やパニック障害などのクライアントでも、3〜6か月で熟練してきて、
問題は軽くなる。セラピストが、熟練しないでいると、すぐに追いつかれて熟練度が逆転してしまう。充分に回復するまでセラピーを継続することが期待されているはずなのに、セラピストが
熟練していないと、別の技法に移ってしまうおそれがある。また、種々の理由でセラピーが進展しない場合にも、この技法に熟練していないと、別の技法を組み合わせるおそれがある。
「セラピーが進展しない場合に、単に他の手続き組み合わせることで対処するようになり、結
果的
にACT手続きの洗練、行動分析学の洗練にもつながらない。」(90頁)
患者さんへの実践的マニュアルもあれば、当初はセラピーがむつかしくはない。
マインドフルネス心理療法を用いて治療にあたろうと思う人は簡単に理解できるのだがセラピスト自身もずっと実践を続けて習熟してこれに自信を持つ
必要がある。クライアントによっては感情的になったり、なかなか改善のきざしがみられないことが起きた場合(治療が長期間になってくる)、他の心理療法の手続きを導入したくなるという誘惑がある。だが、途中で他の技法にきりかえるとセラピストの力量が洗練されない。この心理療法は、体験をつめばつむほど洗練されてくる。ク
ライアントが進展しない場合、セラピスト側に問題がある。洗練度が低いとか、応用に欠けるとかで
ある。
<第3>テキストの文字を鵜呑みにするな、文字の精神を読め
マインドフルネス心理療法のセラピストは、学習した時の、テキストの言葉をそのまま鵜呑み
にしてはいけない。その言葉が出てきた背景を理解して、言葉を改変、応用できるようにならなけれ
ばいけない。そのためにも、テキストに頼らず、セラピストが自分でも実践を続ける必要がある。
「機能的文脈主義に徹底したセラピストを指向するACTセラピストであるためには、そのことを自
覚し、記述内容を「鵜呑みにしない」、常にその記述の機能を読み取るようにすることが肝要で
あると考えられる。また、セラピスト自身がルールを柔軟に書き換えることができるような
トラッキングと、クライアントの行動に柔軟に対応できる随伴性形成行動の生起が可能となるよ
うな随伴性を整備していくことも併せてお勧めしたい。」(92頁)
マインドフルネス心理療法を学んだら、種々の領域に適用できる。その人が新しく治療領域を広げ
ていける。そんな興味ある心理療法のようだ。
初心の人は、まず、半年の受講と実践によって、クライアントの指導ができるようになる。応用が
できるようになるのは、その後の実践と臨床体験にかかっている。臨床にあたると、
セラピストの未熟なところを自覚せざるをえない事態が起きる。セラピストだって完全ではない。
臨床を積むごとに不十分なところに直面して、反省して、手法を洗練させていく。
ACTと自己洞察瞑想療法( SIMT=Self Insight Meditation Therapy )はよく似ている。SIMTは禅の方法と指導法にヒントを得ていくつかの技法群に整理した。理解しやすいような構成になっている。禅で、定慧等学という。形式に見える禅定、それだけでは、苦悩は解決しない、智慧を同時に学ばなればならない。呼吸法や運動、生活行動そのものを「形式技法」とした。その実行の中で、苦悩を生起させる6つの心理的非柔軟性の改善の智慧(「目標技法」という)の技法を組み込む。形式的にみえる行動(禅定にあたる)のなかで、苦悩の解決の智慧をトレーニングしていく。定慧等学に似た、形式=目標の並行学習ですすめていく。
<第4>セラピスト自身が日常生活でマインドフルネス、アクセプタンスの実践を
「目標技法」の背景にあるマインドフルネス、アクセプタンス、弁証法的見方なども、マインドフルネス心理療法には共通である。たとえば、クライエントがマインドフルネス心理療法の立場と異なる思想を持っていても否定したり変更をせまらなくても(それは、「認知内容」だから)治療をすすめることができる。また、
セラピストとクライアントの間や、セラピストスタッフ同志の間で、技法や理論で意見が対立する時、理論闘争はしない。クライアントが治癒する方策を総合でさぐる。また、クライアントの前で、他のセラピスト、スタッフの技法の批判をしない。こういう場面も「感情的」場面である。クライアントはそういう場面で傷ついてきた。セラピストが範を垂れないのは信頼を失う。
セラピストとクライアント、
セラピスト同志が対立している間に、クライアントが混乱して悪化しては困る。大切なのは、技法や理論ではなく、クライアントの問題解決である。マインドフルネス心理療法(弁証法的行動療法も)はみな、その方針がある。
方法を理解するのは容易である。だが、熟練するためには、セラピスト自身が、自らの生活で活用しなければ熟練しない。そして、臨床にあたってみることだ。クライアントが教えてくれる。クライアントとセラピストの交流の場が、「今、ここ」である。臆病にならずに、とにかく行動しないと熟練しない。
(注)- (1)
「アクセプタンス&コミットメント・セラピーの文脈」武藤崇編著、ブレーン出版。85
頁。以下、すべて、同書から。