第2節 4つの智慧と直観的叡智

 自己洞察瞑想療法( SIMT: Self Insight Meditation Therapy )では、4つの智慧を提示する。そのうち、「直観的な叡智」は6つの心理的柔軟性スキルがよく働く状態になった智慧である。
 その前に、アメリカのマインドフルネス心理療法のうち、弁証法的行動療法(DBT)とアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)についての類似の智慧の開発のための概念と技法をみておく。みな、同様のゴールをねらっている。言葉は違っても「目標」は同じであると見ていい。「機能クラス」が同じである中の、メンバーが、「賢明な心」「文脈としての自己」「直観的な叡智」と見ていい。だから、優劣を論じなくていい。メタファー(比喩)によってクライエントに指導されるから、クライアントがSIMTの器、鏡、川、海などの比喩による「直観的な叡智」の自覚体験がなかなかむつかしく感じる場合には、クライエントによっては、DBTの井戸のメタファー、ACTの「チェスボード」「観察者エクササイズ」を用いてもいい。みな、同じ「クラス」の技法であるから。 セラピストが自分でトレーニングして自分で体験できた技法を用いることが重要である。

<第1>弁証法的行動療法の「賢明な心」

 リネハンの弁証法的行動療法では、3つの心、すなわち、「合理的な心」「情動の心」「賢明な心」が提示され、「賢明な心」を自覚することが指導されている。エクササイズによって体験的に自覚する心である。知的分析に依らないで直観的な理解という特徴を持つ。「賢明な心」は、あらゆる理解の方法(観察、論理的分析、運動的および感覚的経験、行動的学習、直観)の完全なる協調の上に成り立っている。
 この直観的といわれる「賢明な心」を患者が体験的に、直観的に、自覚できるようにエクササイズを指導する。呼吸法が用いられている。
 「呼気の終点に注意を集中させるようにしている」というのは、禅の指導でいう「丹田」であろう。「賢明な心」に入り込む体験は、簡単にはいかないようで、蓋を開けるという比喩で、何度もトレーニングを繰り返していくことが期待されている。  「井戸の底にある知恵の大海」というメタファー(比喩)にあるように、患者が自覚しなかったが前からあったものを体験的に自覚させる。智慧を生みだす心のようなものを感じることが問題の改善に結びつく。
 人の認識活動の時に、対象とそれを認識する側の2つに分別してみると、客観ー主観(主体)となる。 リネハンの「合理的な心」「情動の心」「賢明な心」は、3つとも、対象を観察する主観、主体側の成熟度の違い、心が持つ智慧のレベルが違うもので、「賢明な心」は直観的なトレーニングをしないと自覚できないものという特徴がある。こういう想定、仮説であるように見える。心理療法者によって、多少、違いがあるが、それは構わないのである。目的は、クライエントが精神疾患などを克服することである。

<第2> アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)の「文脈としての自己」

 ACTでは3つの自己を提示する。「概念としての自己」「プロセスとしての自己」「文脈としての自己」である。3つとも主観というわけではなくて、「概念としての自己」は、2つに分かれていなくて苦しいものとされている。
 「概念としての自己」は、嫌悪的な内容を持つものが自己とされて対象として描かれ主観が嫌悪されている。  「プロセスとしての自己」は、主体と対象(感覚、思考など)が区別されるものであり、自己は苦痛の対象そのものではない。対象が次々と流れていくのを観察する主体としての自己の自覚を促進させる。  「文脈としての自己」は次のような自己である。「プロセスとしての自己」の体験をさらにトレーニングして、自己は「場所」として体験する。受け流す「プロセスとしての自己」の一層深化した自己を体験的にとらえる。自己が「場所」であれば、主観ということの意識が隠れていって、種々の苦悩らしいものが自分とは距離が出てきて、精神疾患などが治癒していく。    このエクササイズは次のように進められる。  こうしたエクササイズで「クライエントはこの過程で自己を私的事象ではなく、それらを抱える空間として実際体験する」。
 「この臨床的プロセスの終わりまで達するとクライエントは悩みにあまり抵抗せずに向き合えるようになったと打ち明ける。この報告には自己と私的事象との区別、距離感の体験が含まれ、クライエントは、「以前、何であんなにも(悩みを)気にしていたんだろう」と自己を見つめ、困難な私的事象を打ち明けるときでも笑顔を見せるようになる。これはディフュージョン、アクセプタンス、文脈としての自己、「今、この瞬間」をそのまま体験することの現われで、マインドフルネス・アクセプタンスの増加が起こったことを示唆している。この変化が見られたら援助の焦点を建設的な生き方へと移行するのである。」(6)

<第3> 自己洞察瞑想療法の「直観的な叡智」

 マインドフルネス心理療法の他の学派がねらうのと同様に、精神疾患や問題行動の解決への方向の智慧が体得されることを自己洞察瞑想療法(SIMT)のゴールとする。
 私的事象や自己を言語によって描いて生存のために自ら智慧を働かせて生きてきたが結果として苦悩を生じる智慧であった(苦悩の智慧)。 言語プロセスが苦悩を拡大していくので、 私的事象を無評価で観察してみる。特に呼吸法を実施しながら無評価で感覚や感情、思考を観察してみると、苦痛が軽減されるのを体験する。その体験を通して断片的にではあるが平穏な心を感じて、言語プロセスが苦悩を拡大していくことを体験的に理解してこれまでの対象の見方が変化する(無評価の智慧)。
 さらに、私的事象を自己自身の上を流れゆく現象とみることができる体験を重ねていく。 そういうトレーニングを通して、私的事象や自己を違う目でみる智慧が開発される。精神疾患や問題行動の成立と解消を直観的な見方によって理解し適応の行動ができるような智慧(直観的な叡智)が体得されて精神疾患や問題が解決することがセラピーのゴールである。

a) 4つの智慧の概観

 自己洞察瞑想療法による治療は、直感的な叡智を基礎にした治療原理(合理的智慧)の教育を提供して、一定の期間、マインドフルネス(直接経験注意集中)、アクセプタンス(不快な現実の受容)、精神機能の洞察、苦悩の連鎖解消のトレーニングを提供することである。その結果、断片的に、無分別の智慧を生じ、機能的行動を部分的に実行できるようになり、自己を観察する目(直観的な叡智)が重要な場面で獲得され、長期的な価値実現をめざして、中短期の目標(問題、苦痛が治癒、軽減)を実現する。
 ゴールは個人の価値と関連する。個人によって精神疾患を治す、難病患者のメンタルな問題克服、スポーツ選手のメンタルな問題を解決するなど個人の価値を達成するために有用な直観的な叡智を体現することが目標である。精神疾患の治癒にSIMTを適用する場合には疾患が治癒するのに必要な程度の智慧を開くことが目標である。

 このような目標を達成するために、SIMTでは、4つの智慧の概念を提示する。 概要は、「マインドフルネス心理療法の基本(9)「生きる智慧」」(セッション9)を参照。

◆A)苦悩の智慧
 感情や衝動に支配されて判断する智慧。短期的には苦痛を軽減、回避できるが長期的には社会生活が障害されて苦痛が生じる。 (参照)セッション9(L-5-a)隠れる観察自己(7頁)

◆B)合理的な智慧

 自己の信念、信条に基づいて論理的に考えて判断する智慧。自己や周囲の者を大きく障害しない間は妥当にみえているが後に苦痛をもたらすこともある。種々の学派の精神疾患の病理論、治療理論もこれであり、合理的であり理解できるが理解するだけで解決するとは限らない。

◆C)無分別の智慧(無評価の智慧)

 私的事象を評価を保留して直接的に認知する智慧。苦悩する人でも、持ち合わせているが、自覚されにくく行動に結びつかない。だが、注意集中、徹底受容などのトレーニングを受けるとまもなく自覚できる。

◆D)直観的な叡智
 無分別の智慧を基礎として多くの場面において自己を洞察して行動に反映できる智慧。上方からの俯瞰的な視線で、自己自身の感情、行動を洞察する智慧。無分別の智慧に基づいて、価値の実現を達成する智慧。直接経験の観察、洞察によりその瞬間に動的に適応の行動を選択して苦悩の連鎖を克服し、受容し、価値実現が保障される。 (参照)セッション9(L-5)観察する自己=直観的な叡智が働く自己(6頁)

b) 苦悩の智慧、合理的智慧

 「苦悩の智慧」は、個人が危機を回避して生存を維持しようとするのに効果がある智慧であるが度が過ぎて社会生活が阻害される。
 「合理的な智慧」は苦悩する智慧の人にも知的、論理的には理解されるが、実際に働きだすわけではない。「わかってはいるが、やめられない」という状態に留まる。
 個人の人生観、教育方針、集団の思想、信条も合理的な智慧である。一定の範囲で個人の幸福をもたらすが、かえって本人や周囲の者に苦痛を起こすこともある。苦悩の智慧であったことが後に明らかになることもある。合理的な智慧(B)は、自己の信念、信条に基づいて論理的に考えて判断する智慧であるから、今は自己は苦悩しないが、周囲の者が苦悩している場合がある。たとえば、自分ではよかれと思って自分の考えを子に強制する親は、自分の考えは合理的な智慧と思っている。親は苦しんでいない。だが、子どもは親の智慧によって苦しんでいる場合があり、後に精神疾患になったり、殺傷事件が起きる誘因となるかもしれない。また、時には自分では合理的と思った行動が、ストーカーや虐待、家庭内暴力など犯罪の要件に合致するかもしれない。このように、合理的な智慧(B)は、必ずしも本人や関係者の価値実現を保障しない。
   マインドフルネス心理療法もテキストを読むだけでは、合理的智慧にとどまり問題は解決しない。 直感的な叡智を基礎にした治療方針の説明も言語である限り「合理的な智慧」である。 この智慧に導かれて、 「無分別の智慧」を働かせるトレーニングをすることによって、合理的智慧の妥当であることを部分的に確認でき、部分的に価値実現の反応様式をとることができる。トレーニングを継続することで、「直観的な叡智」が充分動きだして、自己の精神機能の全体と部分を洞察でき、苦悩の連鎖を克服し、受容し、常に価値実現の反応様式をとることができるようになる。

c) 無分別の智慧(無評価の智慧)

 直接経験注意集中のスキルや徹底的受容のスキルのトレーニングを開始すると、まもなく、無分別の智慧が自覚される。これまでつらい(不快)と感じていて、すぐに、軽減したいとか回避したいと評価判断して、無益な思考や行動に移っていたのだが、つらい、不快ではあるが、 評価を保留して、その不快な直接的経験を観察し、名前をつけて、受容してみる。そのトレーニングを繰り返していると智慧が生まれる。いくつかの不快な事象は自分で受容できる智慧が生じる。
 「無分別の智慧」の詳細については、 (参照)マインドフルネス心理療法の基本(セッション9)「生きる智慧」の9頁を参照。
 これまで、すぐに、無益な思考、無益な行動(非機能的行動)に移っていたが、この智慧が生じると、無益な思考・行動に移らずに、しばらく待てば、非機能的行動をしなくてすみ、自分の問題の解決方向が体験的に理解されるようになる。
 呼吸を観察するとか、痛みや感情をその感じるままのところで、感受している時には、言語による苦悩(うつ病であることとか、休職しているとか、過去のトラウマとか将来の不安とか)を自覚していないことが観察される。
 「無評価の智慧」を強調することは、クライエントの言語プロセスの連鎖の抑制、不快事象を観察し受容する効果を得られることにより、セラピーの信頼性を得ることで有用であるので一つの智慧として提示する。
 呼吸や感覚に意識を集中しているとき、それでも、言語による苦悩が生じても、呼吸や感覚と並行して意識していれば、非機能的行動に移らずにすむことが自覚される。呼吸や感覚に意識を集中し続けることを断念した時に、不快事象の程度が強まったように感じて、非機能的行動に移ってしまうというプロセスが体験的に理解される。
 過去の出来事、過去の人物への囚われが軽くなる。過去のことや将来のことは言語(またはイメージ)によるプロセスであるが、内容やイメージは過去や未来であっても、思考(言語活動)およびイメージの機能は現在であることが体験的にわかる。

d) 直観的叡智の活性化

 「直観的な叡智」は上方からの俯瞰的な視線で自己の私的事象(感覚、思考、感情、行動など)を無評価で観察、洞察し、個人の価値を想起して適応的な行動を実行していく智慧である。直観的な叡智においては、私的事象は固定したものがあるわけではなく、今の瞬間の自己の活動であり、自己は私的事象が生起する「場」「空間」であることが体験的に理解されている。
 直観的な叡智は苦悩する人も時折、用いている智慧なのであるが、充分に自覚されず、充分に活用できないでいるものである。
 治療セッション中や個人が一つか複数の技法のスキルトレーニングを実行している場面だけではなくて、職場や対人関係のただ中の日常行動の中で、6つの心理的柔軟性のスキルを刻々と選択して、実行していくことのできる動的智慧が「直観的な叡智」である。  (参照:6つの心理的スキルは、セッション10の19頁)

 一定の期間のマインドフルネス(直接経験注意集中)、アクセプタンス(受容)、機能分析、連合解消を習練して、価値実現の方向にある見方・行動が充分に習得される時、直観的な叡智が獲得されたといえる。
 直観的な叡智は、他者の苦を共感し、他者を苦におとしいれない智慧でもある。直観的な叡智は、精神疾患の人に全くないわけではない。使う機会が少ない。治療が進行するにつれて、叡智を用いる機会がふえることによって、症状が軽くなっていく。
 回復できない喪失(愛する人、財産、無形の財産など)、治療(内科、外科、心理療法など)を受けても回復しない障害、問題、症状、疾患でうつ病になることもあるが、無評価の智慧によって回復しないでもあるがままを受け入れて社会的行動などが障害されなければ、直観的な叡智が獲得されている。現在自分に利用可能な科学的医療(薬物療法、外科療法などあらゆる医療)でも心理療法でも軽くならない問題、障害、症状については、言語によって苦悩を連鎖させないで、無評価で受け入れれば、その問題、障害、症状と共存しながら、職業的、社会的、家庭的生活などを大きく障害されなくてすむことが自覚されるようになる。

e) 直観的な叡智を体得するエクササイズ

 SIMTの目標は、クライアントが「直観的な叡智」を獲得できるようにすることである。元来、誰でも持っているのであるが、なかなか、自覚できず柔軟に使うことができなくなっているのを、ひきだし、充分に用いることができるように援助する。SIMTの技法、戦略は、すべて、このためのものである。たとえば、次のような技法に直観的な叡智を開く前準備の心得がおりこまれている。  多くの技法の中でも特に、「直観的な叡智」を開発するトレーニングは次である。  アメリカのマインドフルネス心理療法のうち、弁証法的行動療法(DBT)とアクセプタンス&コミ ットメント・セラピー(ACT)も類似の智慧の開発のエクササイズがある。DBTの井戸のメタファー、ACTの「チェスボード」「観察者エクササイズ」などを指導してもよい。 器と内容、鏡と対象、水と月、川と水、海と波などの比喩によって「直観的な叡智」の自覚体験を起こすことができる。
 たとえば、自分は「器」であるというメタファーを用いる。自分は「器」である。その器に、音、考え、見るものを入れることができる。すっかりこぼして、呼吸を入れることができる。音、考え、見るものは次々と消えていく。でも「器」はある。こんな比喩を用いて、直観的な叡智を体験してもらう。そうすると、苦悩の対象を軽くみられるようになり、非機能的行動への連鎖が解消する。これは、テキストで理解するのではない。現実の感覚などで体験させる。
 「海」のメタファーなら、たとえばこうなる。
 「自分は海です。海全体が自分であるというイメージをしてください。その海の表面には、大波、小波が動いては、消えています。音が海の表面に落ちてきました。棒のようです。でも、海の底全体は穏やかです。この穏やかな深海があなた自身だとイメージしてみてください。表面に大きな波が起きたら、深海のほうは騒いでいますか。おだやかですね。」

 こういうエクササイズは、観察する自己を自覚して苦痛の対象と自己はちがうことを体験することが重視される。そうすると「嫌悪的自己」からの開放が起こり、非機能的行動への連鎖が解消(デフュージョン)される。この「直観的な叡智」を体験するエクササイズは特に重要な技法の1つである。
 こうしたエクササイズで、クライエントは自己は私的事象(苦痛の感情、病気の自己像など)ではなく、それらを包みこむ空間として体験する。
 こうしたエクササイズでこのような体験をすると、クライエントは悩みの対象にあまり囚われず、不快な事象でも回避せずに向き合えるようになる。非機能的行動への連鎖解消(ディフュージョン)、不快事象の受容(アクセプタンス)、事象が起きる空間としての自己などを直接体験しており、「今、この瞬間」をあるがままに受け止めていくことができると安心、自己信頼を得る。