自己洞察瞑想療法の理念と立場


第1章
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機能的文脈主義としてのマインドフルネス心理療法

 自己洞察瞑想療法( SIMT、Self Insight Meditation Therapy )はマインドフルネス&アクセプタンス心理療法(以下、マインドフルネス心理療法)の一種である。
 マインドフルネス心理療法はいくつかの心理療法があるが、多くは、文脈主義である。
 究極の真理を追究するという代わりに、個人の価値実現をめざすという点、さらに、リアルなものは、今、ここという瞬間であり、それが全体であるという文脈主義の特徴と一致する点が多いことで、自己洞察瞑想療法も文脈主義であるといってよい。 マインドフルネス心理療法は、「従来の行動療法の哲学的スタンスとは非常に異なる要素を持ち合わせている」。「アクセプタンス&コミットメント・セラピーの文脈」(注1)によってその哲学的スタンスをみておく。

第1節 機能的文脈主義

<第1> マインドフルネス心理療法の多くは文脈主義

<第2>機能的文脈主義

 ACT機能的文脈主義やRFTの理解が不十分だとしても、ある程度ACTを使用して効果を得ら れるようになっている(注1の85頁)が、やはり、ある程度、理解しておかないと、使いこなすことはできない。

 「アクセプタンス&コミットメント・セラピー(以下ACTとする)の根底にある哲学的背景は「機能的文脈主義 ( functional contextualism )」と呼ばれる。(中略)
ACTを使いこなすには、充分な哲学的な理解が必要なのである。なぜなら、ACTは行動療法の伝統にありながら、従来の行動療法の哲学的スタンスとは非常に異なる要素を持ち合わせているからなのである。つまり、この哲学的なスタンスに関する理解を逸してしまうと、ACTはメタファー、パラドクス、体験的エクササイズを多用する、雑多で不可思議な(行動療法と呼べないような)セラピーのように見えてしまうからである。」(注1)

<第3>ルート・メタファー、世界観

 文脈主義はPepper(1942)のルート・メタファー・メソッドが起源である。
 「 Pepper (1942)は、世界それ自体についての仮説も、通常に認識される対象物 ( objects )の中の1つとして捉え、さらにその知識の無制限な産物のことを「世界仮説 ( world hypotheses )」と呼んだ。つまり、「世界仮説」とは「世界観 ( world view )」のことである。」(16頁)

 「そこで、彼の呈示した方法が「ルート・メタファー・メソッド」なのである。その方法は「ルート・メタファー」という名称から推察できるように、自分の身の回りに存在する事象を比喩的に利用して世界観を構成するというものである。さらに、彼はこの方法の格率( maxims )を以下のように呈示した。  この4つの格率は以下のような主張を導く。ある世界仮説を用いて他の世界仮説を分析・批判することは、上述の前提条件から逸脱するだけでなく、本質的に無益であるという主張である。つまり、他の世界仮説の欠点を暴くことで強められる世界仮説は存在しないということである。
 そして、彼は科学や哲学に共通に見られる4つの基本的な比喩を抽出した。その比喩とは、類似性、有機体、機械、文脈内の行為の4つである。さらに各々の比喩に基づいた相対的に適応的な世界観を4つ挙げた。その世界観とは、
形相的世界観( Formlism ; 以下、形相主義とする)、
有機体的世界観( Organicism ; 以下、有機体主義とする)、
機械的世界観( Mechanism ; 以下、機械主義とする)、
文脈的世界観( Contextualism ; 以下、文脈主義とする)
である。
 その世界観の主な特徴は、次の基準により分類できる。  その基準により、特徴は表1−1のように分類される。」(17頁)

表1−1 Pepper (1942)による世界仮説(主義)の中核的特質
  (@)世界は要素で構成されているか
(要素=部分が実在するか)
(A)世界は1つのストーリーとして語ることが可能か
形相主義 YESNO
有機体主義 NOYES
機械主義 YESYES
文脈主義 NONO

<第4>部分は実在しない

 「形相主義と機械主義は部分的要素(elements)が実在し(部分的要素を基礎的事実として扱い)、それによって世界は構成されていると考える。一方、有機体主義と文脈主義はそのような要素は実在しないと考える。
 反対に、有機体主義と文脈主義は複雑さ(complexes)、文脈(contexts)、つまり全体が実在する(全体を基礎的事実として扱う)と考える。また、有機体主義と機械主義は最終的に世界がある特定の常態に(例えば、「理想世界」に)達すると考えるが、形相主義と文脈主義はそのような状態を想定しない。つまり、有機体主義と機械主義の世界観は視野(scope)に疎く、形相主義と文脈主義の世界観は正確性(precision)に疎いという制限がある。」(17頁)

 以下、文脈主義について見ていく。

 「文脈主義のルート・メタファーは「文脈中に生じている進行中の行為」あるいは「歴史的な行為」とされている。この世界観は「全体」がリアルなものと考えるが、世界観の統一的・統合的な到達点を想定していない。つまり、その世界観では、究極的な真理は存在せず。認識者と被認識者という2分法もなく、因果律も実在しないと捉える。そこで、ある恣意的なゴールが設定される場合に認識の可能性が生じると捉えるのである。つまり、この世界観の真理基準は「その恣意的なゴールが達成されたか否か(successful working)ということとなる。もし、そのゴールを「事象に対する予測と影響」とした場合には、そのゴールを達成するという方法論的な発想から機械主義的な理論を採用する場合も考えられる。ただし、その場合にはあくまでもそのゴール達成のための手段として、その方法論を採るということに過ぎない。」(19頁)

<第5>機能的文脈主義のゴールは事象に対する「予測と影響」

 「文脈主義は「文脈中に生じている進行中の行為」というルート・メタファーである。そのため、分析のユニットも、対象の全体性や文脈性を損なうことはない。さらに文脈主義は、その分析のゴールによって、記述的(descriptive)文脈主義と機能的(functional)文脈主義とに大別される(Hayes, 1993)。」(20頁)

記述的文脈主義
 「記述的文脈主義は、対象や参加者を検討することによって、彼らに対する全体的な評価を探求することを目的としている。つまり、その目的は「その記述的評価にある種の首尾一貫性を求める」というゴールである。そのため、記述的文脈主義者は歴史家(historian)に例えられる。」(20頁)

機能的文脈主義
 「機能的文脈主義は、その分析に対してより実践的で統合的な(integrated)ゴールを選択する (Hayes et al., 1999)。その統合的ゴールとは事象に対する「予測と影響(influence)」のことである。ここでの「統合的」という意味は、「正確性と視野を兼ね備え、かつ当該のゴールが持つあらゆる側面の達成を目指すということである。つまり、機械主義と異なるのは、分析それ自体を目的としない、かつ全体のバランスを欠いた特定的なゴール達成を目指さないという点である。そのような意味で、機能文脈主義者は技術者(engineer)に例えられる。

その理由は、実践に必要な最小限の知識を持ってゴール達成を目指し、全体的な視点から見てゴールが達成していれば、予測と結果との誤差が生じても、それを許容するからである。また、いわゆる心理的な事象も、有機体( a whole organism )が生起させる連続的な行為と、歴史的(時間的)・状況的(空間的)に規定された文脈との相互作用として捉える。つまり、行動分析学における三項随伴性(「弁別刺激」‥‥「反応」‥‥「強化」)という分析ユニットは、実験者・観察者が恣意的に設定・文節化するものであり、先験的に、かつ個別に、弁別刺激、反応、強化は存在するとは捉えないのである。そのように捉えれば、実験者・観察者も文脈や全体から引き離されることはないのである。」(20頁)

 たとえば、感覚、思考、感情、行動という elements に分けて予測と影響を説明するような方法論はそれであろう。だが、そのelemntsは実在とみておらず、ただ移り行く泡のようなもので、治療上、有用であるので element に恣意的に設定して説明するが、単独で存在するものではない。

 「機能的文脈主義では、対象に対する「予測と影響」という統合的なゴールを選択するからである。ただし、主たるゴールは「影響」を引き起こすような環境的変数の同定とその操作である。「予測」はあくまで、その環境要因が同定できた後に結果的に達成される副次的なものという位置づけである。「予測」のみが可能となっただけではゴールが達成されたことにならない。よって、セラピストが直接的に影響不能な脳機能や過去の経験は原因として捉えないのである。つまり、機能的文脈主義に基づくセラピストは「心身二元論(dualism)」や「過去・現在の二元論」の立場を採らず、「環境一元論(=行動一元論)」や「現在一元論(今、ここ)」の立場を採るのである。
 しかし、クライエントが一般的に持っている「心身二元論」的な発想それ自体を否定するということを意味しない。例えば、クライエントが心身二元論的な思考をしていても、不安や強迫観念を持っていてもよいのである。ただし、それらに縛られることなく、適応的な行動が生起するようになればよいのである。つまり、セラピストは、分析をする際に使用する枠組みと、実際にクライエントと接する際に使用する枠組み(言葉遣いを含む)とを使い分けるのである(Heyes, Pistorello, & Walser, 1995)。」(28頁)

<第6>機能的文脈主義とは何か

 「文脈」とは、「時空間的に連続している 事象の流れ」である。「今、ここ」という空間的時間的文脈がリアルであるからそれは全体である。

 「文脈主義は、その名の通り、時空間的に連続している事象の流れ、つまり文脈を、その世界観の中軸に据えた認識論的な立場である。そのため、認識論的にリアルなものは「部分」ではなく「全体」である。しかし、リアルでありながら全体を「全体」として記述することはできない。それ故に、何かを認識するためには、ある恣意的なゴールを選択する必要がある。さらに、そのゴール達成の是非によって初めて、その認識の是非が判定できるようになる。ただし、そのゴール選択には当事者の責任が伴うことはあれ、その選択の正当性を主張することはできない。つまり、このゴール選択とは当事者による価値の表明と同じなのである。また、このゴールの選択、価値の表明によって、単なる相対主義、懐疑主義とは異なる立場となるのである。」(21頁)

 「心理学的な事象」は人の連続的な行為と、歴史的・状況的に規定された文脈との相互作用であるととらえる。この立場がより適切だと正当性を主張するものではなく、この立場で、行動療法(心理療法)の有効性を高めるという目標を達成しようとする。
 私(自己)は自己の行為で今ここという瞬間の世界(文脈)に働きかける。その行為の結果が自己に働きかける。相互作用である。この心理療法のゴールの基準は価値実現に有用であるかが重要であるから、分析そのものの精緻さとか正確性は重要ではない。「今、ここ」という文脈をはなれた操作は採らない。種々の技法はすべて、ゴールを達成するのに有用なものである。形態は多用であるが、ゴールを達成するためのものである。

 「機能的文脈主義は、予測と影響という統合的なゴールを選択する。そのようなゴールを選択をするという点で、記述的文脈主義とは異なる。また、心理学的な事象を、有機体が生起させる連続的な行為と、歴史的・状況的に規定された文脈との相互作用として捉える。さらに、分析行為が目的化したり、文脈とは切りはなされた一方的で部分的な操作主義を採らないという点で機械主義とは異なるのである。もちろん、以上のことは、機能的文脈主義者それ自体にも当てはまる。つまり、機能的 文脈主義の方が機械主義、記述的文脈主義より適切であるといった正当性を主張しているのではない。ACTの研究者・実践者は機能的文脈主義という立場を選択しているという表明に過ぎないのである。そして、その立場を選択するのは、現在の行動療法をより進展させるというゴールを選択し、達成しようとしていういるからなのである。さらに、マインドフルネス、アクセプタンス、クライエントーセラピストの関係性、価値、スピリチュアリティ、「今、この瞬間」との接触、感情に対する深化などというトピックを積極的に扱うのも、上述のゴールを達成するためなのである。」 (21頁)