リズム運動でセロトニン神経が活性化=うつ病、パニック障害が治癒(前)

 東邦大学医学部・生理学第一講座(有田秀穂教授等)のHPに、セロトニン神経と坐禅の関係について興味ある研究結果が記載されている。
 有田教授らの研究から、坐禅などのリズム運動は、感情を制御するセロトニン神経を活性化させて、うつ病、自殺、パニック障害、摂食障害、あがり、子供などの「切れやすい」傾向、などを治癒させ、スポーツ・武道の向上を期待できるという。
 子供や青少年の犯罪が多発しているのも、テレビゲームに熱中して頭だけを使い、セロトニン神経が弱まって、自分の感情を抑制できず、「キレて」激情のままに、非行・犯罪に走るせいであることがわかる。
 坐禅、呼吸法(腹式呼吸)、散歩、ジョギング、エアロビクスなどのリズム運動を毎日30分行うことが、セロトニン神経の活性化に効果があるという。こうして、種々の苦悩、自殺、非行、犯罪を軽減していくことができる。
 これを読むと、人のエゴイズムや感情の暴流は、学問知識では防止できず、坐禅などの実践をしないと止めることが難しいことがわかる。

思想絶対の仏教学者の偏見を変えていただきたい
 仏教や禅の学問が、思想のみに偏り、あまつさえ、坐禅のような実践を否定することは誤りであることを生理学から批判することだとも言える。坐禅によりセロトニン神経が活性化するという。これによって興奮系(怒り、むさぼり、抑うつ、不安)の神経を抑制し、種々の苦悩から解放される。そのことを仏教や禅の語録でも読み取ることができる。しかし、仏教学者が、実践者から、いくら反論されても、説を曲げず、学解によって仏教はわかる、という主張に固執し続けるのは、有田教授らの研究成果からすれば、偏見であるとみられる。自説に都合のよい言句だけをとりあげて偏った部分のみを主張するのは、認知療法で「認知のゆがみ」といわれている。
 アメリカでは、認知行動療法に、呼吸法や坐禅のような心の洞察(マインドフルネスとアクセプタンスとして理論化されている)によって、種々の心の病気の治癒にめざましい進展をみせている。
苦悩する人
 何かの苦悩をかかえる人は、アメリカの行動療法の潮流を知り、有田教授の研究成果を読めば、坐禅への信頼を高めるであろう。苦悩する人は、怒り、不安、抑うつなどの感情、気分にふりまわされ、情動を制御できず、心の病気になったりして社会的行動が制約されているわけである。
 腹式呼吸法は、リズム運動という特徴に加えて、さらに、中道の智慧から来る認知のしかたを修正する実践(「認知のゆがみ」に直接挑戦する認知変容実践)を付加すると、苦悩軽減には一層強力な効果がある(苦悩を冷静に洞察して、非機能的な行動で回避することをやめる実践的智慧を身につけることから)。腹式呼吸法や坐禅は、種々の苦を軽減できるということが他の科学で証明されていく一つの有力な例である。しかし、結局、頭で理解しても、それだけでは苦は解決しない。薬物の継続使用は副作用、依存、自己嫌悪、再発の問題が起こる可能性がゼロではない。薬物に依存しないでセロトニン神経を活性化する実践、坐禅に注目すべきであろう。

 有田教授のホームぺージの「元気の神経」に記述されたセロトニン神経の知見と、我々が提案している「自己洞察瞑想療法」の手法との関連性を考察する。
東邦大学医学部・生理学第一講座(有田秀穂教授等)のHP
   http://physi1-05.med.toho-u.ac.jp/
   http://zen.med.toho-u.ac.jp/
 全文は、ホームぺージをご覧になって下さい。

東邦大学医学部・生理学第一講座  →「元気」の神経
次の本でも紹介されている。

リズム運動はセロトニン神経を元気にする

目次(この記事は、前・中・後の3つのファイルに分かれています)
この記事は、次の区分をする。

 有田教授は、セロトニン神経を「元気の神経」というニックネームをつけて呼んでいる。

(B)HPから

(1)「セロトニン神経の身上調査」

(A)(要旨)
 セロトニン神経の中枢は、悩の中央部の「縫線核」にある。そこから 軸策を伸ばして、大脳をはじめ、本能や情動の中枢、小脳、脊髄などに情報を送る。

(B)(HPから)

(2)「覚醒時の平常状態を演出する」

(A)(要旨)
 セロトニン神経は、起きて(覚醒)いる時に、興奮に占領されておらず、冷静であり、何かの行動に移れる準備状態を作る。

(B)(HPから) (C)(考察)
 平常状態、準備状態は、禅の修行者が、坐禅をしている時や、坐禅していない時の「動中の工夫」の心の状態に似ている。もちろん、正しい坐禅でなければならない。それが「正念」「正定」と呼ばれる修行である。悟りを否定するような指導者の坐禅は、このような正しい坐禅になっていない。それは、この下に出てくる「無の境地」からも、判明する。正しい坐禅ならば、「無の境地」、さらに「悟り」に至る。ところが、悟りを否定する禅僧は、そういう経験をえないので、悟りを否定する。セロトニン神経を最大限に活性化させる正しい坐禅になっていないのである。
 心が「言葉」「概念」「思考」あるいは、何かの「もの」(見たもの、聞いたもの、など)に占領されていると、もう見えなくなり、聞こえなくなっていて、準備状態ではなく、占領された状態である。だが、何も思考せず、見たり聞いたりするものがわかっていながら、つかまえないでいる心の状態が、坐禅や動中の工夫である。そんな心の状態は、見たり聞いたり、思いが浮かんだりしたものを、必要ならば、どれでも自覚的、意思的に、とらえて次の行為に移れる準備状態にある。詳細は、弓道、剣道の項で下に出てくる。(→ (15)「ハッとした時、セロトニン神経の活動が止まる」)

(3)「セロトニン神経はリズム運動で鍛えられる」

(A)(要旨)
 釈迦は体験によってセロトニン神経の存在を知り、その働きを縦横に駆使する術を心得ていたように思える。
 釈尊は、最初、荒行(苦行)を行ったが、それでは、満足をえることはできず、静かに菩提樹の下で、坐禅して悟りを得た。呼吸法を発見した。 この呼吸法がセロトニン神経の働きを活性化させる。苦行は、ストレスを生み、ノルアドレナリン神経が興奮するが、それを興奮させる修行では、悟りを得られなかった。
 覚醒を誘発する刺激、例えば、痛みや大きな音などのストレス刺激は、ノルアドレナリン神経を興奮させるが、セロトニン神経には全く影響を与えない。ノルアドレナリン神経は、内外環境からのストレス刺激を検知して、不安やパニックなどの反応を誘発する。
 セロトニン神経は、ウオーキング(歩く)、ジョギング、自転車こぎ、水泳、チューインガムを噛むこと、そして、坐禅の呼吸法などのリズム運動によって、活動を増強させる。

(B)(HPから) (C)(考察)
 平常状態、準備状態を作るセロトニン神経は、坐禅の呼吸法で活性化されるという。ここでは、リズム運動の一つとされていて、リズム運動としての呼吸法だけでもセロトニン神経を活性化させる。坐禅には、呼吸法という「リズム運動」であることのほかに、さらに平常心、準備状態を作る条件がそなわっている。たとえば、動中の工夫も、セロトニン神経の活性化を生む条件にかなっている。リズム運動ではない時にも、セロトニン神経を活性化させる条件と同じ心の状態にいるように功夫しているのである。詳細は下に出てくる。

(4)「坐禅の呼吸法」

(A)(要旨)
 坐禅の時の呼吸は、「腹筋による呼息が中心」である。腹式呼吸で、腹をひっこませながら息をはいていく。この呼吸法は釈尊が考案した。これを行うと、心が安定して、さらに悟りに至ると釈尊は教えた。現代の坐禅で用いられている。これを毎日30分行うと、セロトニン神経が活性化してくる。

(B)(HPから) (C)(考察)
 坐禅の時には、おしりの下に坐蒲(ざふ)をしくので、背筋が伸びて、おなかが前に出るので、腹式呼吸をしやすい状態になる。初心者は、意識的に腹式呼吸を行う。習熟してくると、坐禅の姿勢になると、なかば自然に腹式呼吸になる。また、坐禅していない時(病院での待合室で坐っているとか、電車の中で立っているとか)にも、なかば自然に腹式呼吸になることが多い。
 心の健康(うつ病、神経症などを治す)とか心身症の軽減の段階でよいのであれば、坐禅して、意識的な腹式呼吸をずっと続けるとよい。これが基本であるから、腹式呼吸を行うのは、初心の人も、高度の坐禅の段階にある人も重要な方法である。さらに高度の坐禅にすすむ場合には、歩いている時にも、セロトニン神経が活性化するような(もちろん、このような科学的知見を知って行うのではない。結果としてそうなるという意味である。)工夫をすることになる。下に出てくる。(→ (15)「ハッとした時--」)

(5)「背筋が伸び、顔に締まりができる」

(A)(要旨)
 セロトニン神経が活性化すると、姿勢筋や抗重力筋に促通効果をおよぼし、背筋が伸び、顔に締まりができる。

(B)(HPから)

(6)「禅と弓」

(A)(要旨)
 弓道を行う人が坐禅も毎日やっていた。心と弓の成長過程。セロトニン神経の活性化から説明できる。

(大田註=説明は引用しませんので、HPをご覧下さい。「心への影響はいずれ詳しく取り上げることとして」とありまして、別に出てきますので、そちらで考察します。)

(7)「心頭を滅却すれば火もまた涼し」

(A)(要旨)
 「元気」の神経であるセロトニン神経を鍛え上げると、痛みを抑える働きが生理的にできてきます。


 なお、私のことも注目したい。  初期仏教では、十二縁起観(思想ではなく、実践とみる)がある。十二支縁起によれば、苦が起こる縁を列挙している。「無明」によって、「行」があり、・・・ないし、・・「触」によって「受」あり、受によって「渇愛」あり、「渇愛」によって「取」があり、「取」によって、「有」があり、「有」によって「生老死」の「苦」が起こる」とされる。
 これを観法(修行法)とみる場合には、「触」は、見る、聞く、念がわくという感覚の感知でありこれは生きている限り除くことはできない。その後の「受・渇愛・取・有」は、修行によって抑制できるとされて、それを実践する修行法が功夫されている。たとえば、仏教では、エゴイズムや偏見は、「見取」「我見・我執」といって、煩悩の一つとみて、これを自覚して、発現させないように努めること(日常の実践項目)を要求する。「取」の段階での抑制である。これも、セロトニン神経の抑制の作用であるような感じもする。仏教には、戒があり、修行では、煩悩を捨てることを要求する。煩悩は貪・瞋・癡とされるが、これらのうちには、感情に関連するものがある。感情は自他の苦を生じるからである。仏教は、感情の制御を重視した。これは「受」の段階の抑制である。それも戒定慧の修行で実現されるとした。修行により、セロトニン神経の活性化によって確かに感情、煩悩の抑制が実現されたと考えられる。十二縁起では「受・渇愛・取・有」などの回路を構想していることになるが、五つの感覚ではなくて、「渇愛・取・有」は「意識」の作用であり、「意」のはたす役割が大きいとしている。セロトニン神経は、このような「意識」の作用にも抑制の作用をもたらすのだろうか。
 坐禅によって、感情の制御、煩悩の制御によって(そのためには、徹底的な二元観の修正が必要)ができるという仏教の実践者の主張(それが学者から否定されてきた)は、生理学からも有力な後援を得たことになるであろう。実践・修行を軽視、否定する現代の仏教学、禅学の偏見を見直すべきである。

(8)「心の元気:切れる子供」

(A)(要旨)
 うつ病で自殺した人は、セロトニンの濃度が、一般の人よりも低かった。セロトニンは、うつ病、パニック障害、切れやすい子供などに深く関わっている。
 最近、子供が切れることが社会問題化しているが、私(有田氏)は、セロトニン神経が弱っているために切れる子供が作られると考えている。家の中に閉じこもって、何時間もテレビゲームに耽ることが許される生活環境である。閉じこもって身体を動かさない問題と、テレビゲームにはバーチャルな世界が広がっていて、その中でハラハラ、ドキドキの興奮があるが、人とのじかの触れ合いがない奇妙な世界で、そういう環境の中で、セロトニン神経はまともに発達しない。

(B)(HPから) (C)(考察)
 「宗教を知る 人間を知る」(講談社、河合隼雄氏等)という本には、インターネットで、チャットやメールでしかコミュニケーションできないで、ひきこもりに陥る人が多いと報告している。直接、対面して行う会話ができないのだという。これでは、職場や家庭を営む社会生活が制限される。有田氏の指摘するテレビゲームの影響と似ているであろう。パソコン、ゲーム機上でのゲーム、チャット、メールにひたっていると、セロトニン神経が弱まり、直接、人との接触、対話の場面で瞬間瞬間直面する感情の処理がうまくいかず、相手への思いやりというものが生まれにくく、対人関係が重視される生活が難しくなるのだろう。うつ病、強迫障害(不安障害)、ひきこもり、などで苦悩する人が、ゲームでの発散、インターネット上だけのチャット、メール交換だけでは、問題解決が遠いことを推測させる。パソコンへの依存をやめて、坐禅や呼吸法や、何かリズム運動を毎日行い、セロトニン神経を活性化させて、ある程度の安心を得て、そして外に出て、生身の人間に会う必要があるのだろう。呼吸法は、リズム運動であるのに加えて、苦悩する心の根本原因を探求する方針を持つので、私は呼吸法をすすめたいのである。
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