「パニック障害=その後・人間的な深まり」 (後編) |
(前編)苦しんだ日々、カウンセリング、そして、治るまで |
6)その後、再発せず、普通の生活が続く |
XX先生
ご無沙汰しております、XXです。
<一部省略> 先生とこちらの療法のおかげで、私は普通の主婦の生活ができるようになり、 さらに、ささやかですが、家計の足しになるアルバイトができるようになった ことに感謝しております。 今は外出恐怖も何もかもなくなり、穏やかに過ごせています。 でも、短時間ではありますが、呼吸法はしています。 頭の中がしんとなる心地よさは、ほかの何ものにも代えられません。 でも、今まさに苦しいまっただ中の方もいらっしゃるわけです。 その方たちにも何とか良くなっていただきたいと、心から思っています。 > 体験談を見て、パニック障害の方がよくおいでになります。 > この心理療法への信頼を高める効果があります。 > 社会へのご貢献ありがとうございます。(注4) 私としてもうれしいかぎりです。 自分の症状が一番ひどかったときを思い出してみると、 「このつらさが一生続くのだろうか」「二度と普通の生活が送れないのでは?」 という不安が一番強かったように思います。 「つらい状態は固定的で、絶対に変化しない」と思い込まずに、 「自分は変化しうる存在なんだ」「永遠に同じ状態ということはあり得ない」 という希望があるかないかで、随分違う気がします。 体験談というのは、そういう役割を持てると思っております。 <一部省略> それから、私自身のことですが、パニックになったそれなりの理由というものが、 自分の気質・性格の中に大いにあったと気付きました。 環境のせいばかりにしていたのですが、自分の気質がそれなりの環境をつくり、 その環境からの刺激でさらに自分の気質が強まる、という因果関係のようなもの だったと、やっと気付いてきたこのごろです。遅いですね。 でも、この気質は先天的というか、心の癖のようなものかもしれませんね。 私のようにパニックになる人は、他人と自分の境をつけ過ぎる、他人から傷つけ られることを防御するために、その人を嫌う方法をとる、ということが多いのでは ないでしょうか。 つまり、「自分、自分」という狭い思考やものの見方のせいで、自分自身が苦しむ のではないでしょうか。 いつか、先生から頂いたプリントの中に、心を病む人と病まない人の違いのような ものが列挙されていて、「母のように包み込む気持ちのある・なし」が 書いてあったように思います。 あの当時はあまりぴんと来なかったのですが、なぜか心にずっとありました。 それが今になってみると、まさにそのとおりだと納得できます。 母のような気持ちがない=受容しない、包容力がない、排除する、慈悲心がない ということですから、そういう自分なんだと認めることはかなりキツいことです。 でも、見るべきものは見なければ、何も変わりません。 ただ、生来の性格ですから、なかなか「母のような気持ち」を常に持つことは難しく、 周りの人を批判してしまったり、軽く嫌悪してしまったりという気持ちのほうが まだまだ多く、反省の多い毎日です。 でも、そういう自分の状態を意識していれば、二度とパニックに戻ることはなく、 わずかずつでも変わっていけるのはないかと思っています。 以前、先生がおっしゃった「心の中で第二の自分が見ている」というようなことです。 (注5) 心の悩みの答えは仏教にある――という直感は今も変わらず、まずは初期仏教から 少しずつ調べて勉強しているところです。 知れば知るほど、お釈迦さまは本当に素晴らしい教えを開かれた、と感動します。 その仏教を基本にした先生の療法は、絶対に世のためになると確信しております。 (注6) 先生にはぜひご活躍いただき、苦しむ方を導いて差し上げていただきたいです。 そのお手伝いが少しでもできれば、これほどうれしいことはありません。 そのおかげで私自身も精進させていただくことができますから。 (注7) ありがとうございました。 |