うつ病とは=脳神経科学の視点からの「まとめ」
=なぜ、現在の抗うつ薬では完治しにくいのか
=心理的ストレスによって産生されたサイトカインが前頭前野にはいりこむ
=心因性うつ病では、根本となる心理ストレスが解消していなければ、治療中でも、発病前と同様にストレスを受け続ける
=抗うつ薬を服用しても前頭前野の変調が回復しない場合もある
=うつ病が治らないと自殺の危険をいつもかかえている
脳神経科学の研究がすすめられており、うつ病の病理についても、研究されている。これまでに、発表されていることで、うつ病の場合、脳の中に、何が起きているのかということを簡単に要約すると、次のようになる。
- (A)うつ病になると障害される前頭前野の機能、海馬の機能
(A-1)うつ病になると前頭前野の機能が変調
うつ病になると自覚的な(意識できる)精神機能として、前頭前野の機能が衰える。ワーキングメモリ、思考、創造、他人とのコミュニケーション、意思決定、感情の制御、行動の抑制、記憶のコントロール、意識注意の集中、注意の分散、意欲(何かしらしようという意欲、目標ある行動へ)、自発性である。
- (A-2)心理的なストレスによって、つらい思考と感情を繰り返すので、そのつど扁桃体が興奮する。それで、
HPA系(副腎皮質)の亢進
が繰り返される。
HPA系(副腎皮質)の負のフィードバック機能不全
のため、HPA系の亢進が続く。
視床下部(CRH)→脳下垂体(ACTH)→副腎皮質ホルモン(コルチゾール)
多量の副腎皮質ホルモンが、前頭前野に作用することによって、前頭前野の機能がそこなわれるようだ。
- (A-3)前頭前野(およびC=帯状回)にどのような変性が起きているのか、よくわかっ
ていないが、
ミトコンドリアの変調(そううつ病)、あるいは、
グリア細胞の変調かもしれない
として、研究をすすめている科学者がいる。
前頭前野の容積が縮小しているという報告がある。樹状突起スパインが減少しているという報告もある。
微細な血管に梗塞が起きているという報告もある。前頭前野の障害は、一つではないかもしれない。
ほかに、
グルココルチコイドは、前頭前野のほか海馬機能低下をひきおこしているようである。う
つ病患者の前頭前野や海馬でのセロトニン合成能の低下、脳由来神経栄養因子(神経細胞
の分化・機能維持に重要な役割をはたす)の減少が観察されている。
- (A-4)うつ病患者の海馬が萎縮しているという研究報告が多い。海馬は、記憶の出し入れに関わる。うつ病になると、料理さえできなくなる。過去に覚えた仕事の手順をうまく出し入れできない。新しいことを覚えられない。適切な返答をするために過去の経験を利用する「会話」ができない。そのため、人に会いたくない。こうしたことは、前頭前野のほか、海馬の変調も影響していると推測される。
- (A-5)前頭前野、海馬、帯状回などが障害されるのは、
ストレスホルモンが血液脳関門を通過してその細胞を障害させるためのようである。
- (B)大脳辺縁系に変調が起きて、抑うつ気分の出現、感情の抑制の変調(感情を抑制できない)が起きる。
- (C)帯状回の変調が起きているらしい。前頭前野の精神機能と大脳辺縁系の感情処理には、帯状回が深くかかわっているらしい。うつ病になると、ここにも、変調が起きているらしい。
うつ病患者の前部帯状回は亢進しやすい。
- (D)体内時計(概日リズム)の変調が起きて、睡眠障害、朝起きられないという症状が現われる。
- (E)自律神経の変調が起きて、種々の身体症状が現われる。
HPA系(副腎皮質)の亢進
と、
HPA系(副腎皮質)の負のフィードバック機能不全
が主な理由だろう。
- (F)うつ病の患者は、海馬の縮小がみられる。脳由来神経栄養因子(BDNF)が減少しているという報告が多い。治れば、これが、もとに戻る。
- (G)心理的なストレスによって、
HPT系(甲状腺)の亢進
が繰り返される。視床下部(CRH)→脳下垂体(ACTH)→甲状腺→甲状腺ホルモン分泌→負のフィードバック機能不全
種々の症状は、これからも起きていると推測される。
- (H)視床の変調が起きて、生物的な意欲の機能に関する障害が現われる。食欲、性欲など。
HPA系(副腎皮質)の亢進
と、
HPA系(副腎皮質)の負のフィードバック機能不全
が関係するだろう。
- (I)疲労感に関する部位の変調
HPA系(副腎皮質)の亢進と、
HPA系(副腎皮質)の負のフィードバック機能不全、
HPT系(甲状腺)の亢進
、縫線核セロトニン神経の変調が関係するだろう。
- (J)
縫線核セロトニン神経の変調
自覚できない脳部位であるが、うつ病になると、セロトニンの分泌が少なくなっていると推測されている。現在の抗うつ薬は、この仮説によって開発された。
- (K)ノルアドレナリン神経の変調
現在の抗うつ薬は、(F)(J)(K)に直接作用する(SSRI、SNRI)という薬理作用を持つが、その作用によって、(A)〜(H)の部位の変調が回復するという保証はない。薬がきかない人もいる。ただし、抗うつ薬を投与すると、一度、軽くなる人もいる。
だが、抗うつ薬だけでは、全く効果がない患者や、再発する患者がいるのは、上記のような脳の種々の部位に変調をきたしているからであろう。
心因性うつ病が、抗うつ薬だけでは、治りにくい人がいるようだが、うつ病になると、上記のような広い部位に変調が起きて、セロトニン神経、ノルアドレナリン神経への薬理作用だけでは、前頭前野や帯状回、大脳辺縁系への改善効果が弱いのであろう。薬の研究は、今後、そういう方面に作用する薬の開発に向かうだろう。
心理療法が効果のあるうつ病
特に、患者の苦悩のうち、(A)前頭前野(意欲、注意集中、など)、(B)大脳辺縁系(抑うつ気分、感情)、(D)睡眠障害、身体症状(E,F)などがひどいと、日常生活、仕事や学業に支障をきたすことが多い。
抗うつ薬で治りにくいうつ病の場合でも、認知行動療法、自己洞察瞑想療法(マインドフルネス心理療法)で、治ることがあるのは、(A)前頭前野、(B)大脳辺縁系、(D)睡眠障害の部位、HPA系やHPT系の変調を回復させようとするからであろう。セロトニン神経だけではなくて、直接、前頭前野などを活性化させたり、大脳辺縁系の感情処理、HPA系の反応のしかたなどを変える心理療法によって、治そうとする。たとえば、運動は前頭前野を活性化させる。呼吸法は「注意集中、思考抑制」などにより、前頭前野を活性化させ、感情を抑制して、大脳辺縁系の亢進を抑制するだろう。朝起き、朝ごはんを食べるなどの「生活指導」は、体内時計の変調の改善、前頭前野へのエネルギー供給などの効果があるだろう。呼吸法を利用した注意集中法、不要機能抑制法、徹底受容法などは、感情やHPA系の亢進を改善するだろう。
こうした、助言は、薬物療法においては、ほとんど指導されない(詳細に助言したり訓練するには時間がかかるが、診療報酬が小さいために医療関係者が行なう動機に欠ける)。こういう背景もあって、心因性うつ病が、多い中では、うつ病が治らない患者、そのために、自殺する人が多いのだろう。
薬物療法と心理療法を併用すれば、完治率が飛躍的に高まると推測される。県に1カ所は、そういう指定病院を作ったらいい。
もちろん、ストレスを与える種々の社会問題(貧困、過重勤務、いじめ、差別、介護支援、虐待、家族内の葛藤、など)の改善も、うつ病の改善に重要なことはいうまでもない。改善されれば、新しい患者の発病が減少するはずだ。通常の健康保険では充分ではないのだから、他の難病と似て、特別の予算を組んで、適切な治療を提供すればいい。うつ病治療率をあげることが、自殺の減少になる。
だが、発病をゼロにはできないし、一度発病すると、種々の社会問題のストレスから隔離された状況になっても、うつ病が治らない患者もいる(*注)ので、うつ病の薬物療法、心理療法の研究、予防プログラムの開発は重要である。
(*注)たとえば、いじめ、セクハラ、仕事のストレス、過労などで、うつ病になった患者で、そのストレス要因をとりのぞいても、うつ病が治らない患者がいる。いじめられたから、休学させれば、すぐ、うつ病が治るというのではない。仕事のストレスで、うつ病になったから、休職、退職させれば、すぐ治るというわけでもない。抗うつ薬を服用しても、なかなか、治らないこともある。
いったん、脳の部位に起きた変調は、新しいストレスをとりのぞいただけでは、過去のストレスで生じた脳の変調が回復しないうつ病があるようである。従って、社会問題の改善ばかりではなく、傷ついた脳部位、変調を起こした脳部位の回復のための薬物・心理療法の研究も重要である。社会問題の改善と医療の研究の両面から対策をすすめないと、うつ病、自殺はなくならないだろう。