薬物療法の限界
「医者は自殺を防止できない」という過激なタイトルで、日本の自殺問題深刻さを考えてみたい。
地方の場合、自殺防止運動には、精神科医が重要な役割をになっている。だが、医者は、薬物療法を中心とした治療を行うので、それでは、自殺防止の恒久策とはならないということがわかってきた。
薬物療法は、完治する療法ではなくて、対症療法にすぎない。抗うつ薬の薬理からも、それが裏づけられる。
薬物療法で治ったつもりでも、セロトニン神経は弱いまま
うつ病の治療の中心は抗うつ薬である。中でも最近は、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)やSNRI(セロトニン、ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)である。うつ病には、自殺念慮というやっかいな症状があるので、うつ病が完治しないと、自殺の危険性が常に伴う。抗うつ薬の効き方が、セロトニンやノルアドレナリンの「再取り込み阻害」という薬理作用から、完治のために作用するような薬ではないことろに問題がある。
東邦大学医学部教授の有田秀穂氏は、次のようにいう。
「SSRIの抑制作用により、余ったセロトニンはリサイクルに回らず、いつまでもセロトニン神経末端と標的神経とのあいだに、すなわちシナプス間隙に留まります。これはセロトニン神経が弱り、セロトニン分泌が悪いときには好都合です。十分な分泌量に達しないセロトニンを、見かけ上は多く分泌されたように、改善してくれるのです。薬を使い続ける限りは、脳内のセロトニン濃度を高く維持できます。ただし、セロトニン神経が発生するインパルス頻度は低いままであること、セロトニンの基礎分泌は低いままであること、を忘れないでください。
重要なのは、弱ったセロトニン神経を根本からきたえ直す必要があるということ。そのためには、セロトニン神経がリズム運動で活性化されることをうまく活用すればよいのです。」(1)
薬物療法で軽くしても、心理的ストレスが強くありつづければ(たとえば、過労、対人関係の悪化、同居しても家庭内で孤独、ライフイベントによる新しい役割、いじめられている、がんになっている)、うつ病は完治しにくい。休養して、一度、軽くなっても、 復帰した時、またストレスを受ければ再発する。セロトニン神経の本体の活性が低いままであるせいだろう。このような問題があるから、薬物療法だけでは、うつ病が完治せず、自殺がなくならないのだろう。
だが、リズム運動だけでも不十分な心の病気が多い
軽いうつ病は、リズム運動だけで治る可能性もあるので、ためすとよい。だが、人は、そう単純ではない。リズム運動だけでは、重い、心の病気の臨床的治療には十分でない。第一、重いうつ病患者には、そう助言しても、3ヶ月、継続する動機づけが起こりにくい。一度、形成された自殺念慮は消えにくい。腹式呼吸法をすすめてカウンセリングを始めても、自殺念慮はすぐにはとれない。カウンセリングを併用しても、こうである。一人で、腹式呼吸法などリズム運動を行っても、3カ月、リズム運動の効果の発現を待たずに、自殺するかもしれない。
そこで、セラピストの助言を受けながら行うのが効果的である。心の病気には、認知行動療法を併用するのが効果的であるといわれる。なぜなら、心の病気になった人には、ある種の固定観念や認知のゆがみがあるので、それをカウンセリングで助言すると、完治が早くて、再発しにくい。だが、心の病気は、複雑である。その手法でも、治らないクライエント(患者)には、アメリカでは、「認知的ディフュージョン」といわれるような、決まった反応パターンしかできない心を、多様な選択肢で行動する心を会得する手法が効果的である。「新しい心理療法」というカテゴリーで、ご紹介する。その心得を獲得するのに、腹式呼吸法を応用した技法を用いる。
脳内の神経伝達物質の点からいえば、心の病気(うつ病も)は、セロトニン神経だけの問題ではなさそうであるから、ストレスに対する反応のしかたを変える手法を用いるのである。人の精神作用は、セロトニンという化学物質だけで説明できる単純なものではなさそうである。抗うつ薬の服用を始めても(リズム運動を始めても)、セロトニン神経への作用は開始しているのに、自殺念慮はすぐには、なくならないことから、「生きたい」という意欲は、セロトニン神経に調節されているが、別の脳内の器官の障害によるのであろう。「自殺したい」というのは、一つの「認知」である。セロトニン神経の働きではなくて、大脳皮質の働きである。人は、「生きたい」ということだけでも満足しない。多様な価値観を持ち、種々の思考、感情を起こして、生活していく。種々のストレスがあって、心の病気を起こす。それを治療するには、心の病気にいたる心理メカニズムを解明して、そのメカニズムから治療する心理療法が研究されてきた。根本原因をさぐる方向からの治療法であるから、これも尊重すべきである。
薬物療法だけでも、リズム運動だけ(「だけ」である)でも、複雑な精神疾患を治すには、不十分である。種々の心理療法が研究されてきた。欧米では、抗うつ薬を使わずに、認知療法や対人関係療法だけで、うつ病を治すのも広く普及しているのであるから、その方向を検討すべきである。さらに、これでは不十分として、坐禅に似た、心を洞察する手法(アクセプタンス、マインドフルネスという)がとりいれられるようになった。そこに、有田氏が研究であきらかにされた、腹式呼吸法も有力な技法となる。問題は、リズム運動だけではなく、それを行いながら、自分の問題をひきおこす心理メカニズムを洞察して、一面だけを執着して苦悩するとらわれから離れる柔軟な心を形成することである。こういうメカニズムは、心を病んだ時には、自分で自覚するのは難しいから、やはり、精神病理(うつ病、不安障害、依存症など少しづつ違うので)をよく知る指導者(セラピスト、カウンセラー)の助言が必要と
なる。
自殺防止の対策として、うつ病の人がみつかったら、医者を紹介するという対策が東北地方を中心としたモデルになっていて、本やマスコミで紹介されるが、地方には、認知行動療法や自己洞察法(マインドフルネス心理療法)ができるカウンセラーがいないという特殊事情であることを考えて、他の県や大都市などは、カウンセラー(および、同様のカウンセリングのできる保健師、看護師など)が介入する治療体勢を構築するのがよいのではないか。東北各県も、薬物療法に加えて、その対策も加えたらいいだろう。薬物療法でないと治せない心の病気もあり、これも、今後も、研究開発が必要である。薬物療法、心理療法(ほかにもあるが)の両方とも、考慮すべきで、一つのみを絶対とすると弊害(国民の不利益)が起きる。
医者は、心理療法を学ぶ余裕がなく、薬物療法のみの治療をする人が多い。その薬物療法に弊害や限界が報告されてきた。うつ病を完治させる、という問題の根本対策をとらないと、自殺の減少は、あるレベルで限界に達する。
(注)
- (1)有田秀穂氏(東邦大学教授)「セロトニン欠乏脳」NHK出版、119頁。
(関連記事)