「自己洞察瞑想療法」の方法(概要)
社交不安(対人恐怖・視線恐怖)
社交不安症(対人恐怖症)として、赤面恐怖、視線恐怖、表情恐怖、あがり症、などがある。
- (A)赤面恐怖=(人前で食事できない、会議などで発言できないなどの症状を伴う人もいる)
- (B)表情恐怖=(表情恐怖、態度恐怖など、面目つぶれの恐怖)
- (C)視線恐怖=(他人の視線による被害意識、自分の視線で他者を傷つけた加害意識、罪の意識、自己嫌悪の意識、など)
- (D)あがり症=赤面しなくても、人前での活動が充分に自分の力を発揮できない。そのために、人前で活動することを恐れる。回避する。
ここは、「(C)視線恐怖」について述べる。
視線恐怖の症状
表情恐怖を克服しようとつとめているうちに、<視線恐怖>段階に進展していく。
次のような特徴がある(3)。
- (a)症状発生状況の拡散
見知らぬ人たちや親密な人たちのあいだにあっても、症状が意識される。
- (b)被害者意識
他人の視線に対する恐怖。どこに行っても他人に見られていると感じる被害者意識。視線以外にも他人の言葉や態度を自分に関係づけ、被害的(うわさされている、嫌がられている、など)に感じとる。
- (c)加害者意識
自ら弱い人間だと思い、せめて人並みに正視したいと思って結果として、相手からは、にらんでいるように感じられる。自分の鋭い視線のために相手に不快な思いを与えていると思う。相手を傷つけると思う恐怖。横恐怖。脇見恐怖。
- 仮面性
自分の凝固した顔、つまりは仮面を意識する。相手のこわばる顔を感じる。
治療の基本線
内沼氏は、治療の基本線として、原点に「人見知り」があり、羞恥があることに注目する(4)。
どうして治すかというと、内沼氏の治療法が、多様であり、簡単には、要約しにくいが、自己洞察瞑想療法で探求する「自己」「こころ」という点で、次の点が関心を引く。
- 対人恐怖は、羞恥、ふがいないと考えるみずからの気の弱さ、「負けおしみ」の意地張りな気の強さからなりたっている。強気と弱気の共存がある。(5)
- 自分は弱いところばかりの人間だと思いこみ、対人関係から逃げ腰になる者もいるが、たいていの患者は自分の弱さを克服するために何らかの自己鍛錬法をこころみる。坐禅、ボクシング、過激派運動への参加、弁論訓練法、ものに動じない精神鍛錬法、性的冒険など。(6) (それで治るわけでもない:大田注)
- 自分のことをよく知らないが、他人がよく見えることがある。患者が気がついていない自分のことを、治療者との会話を通してして「自分をみつめなおす」ことを行う(7)
- 人によく思われたいという意識があることを自覚するよう指摘しても、あまり効果はない。(8)
- ただし、患者は劣等意識にとらわれて、みずからのプライドの高さに充分気づいていない場合が少なくない。(9)
- 社会では、職場で与えられた職務を十分にこなしている限り、対人関係でぎこちなく、少し変り者とみられたからとて、どうということはない。大切なのは仕事や役割であって、対人関係は二の次であるべきだ。ところが、患者は、対人関係が第一、仕事、役割を二の次にする逆転がみられる。(10)
- 「ねあか」を優秀な人間とする社会の傾向はよくない。
患者は、自分の静かな性格を悪いと思ってはいけない。「ねくら」は悪くはない。(11)。
- 患者は、人といる時の「間」(会話と会話の間の沈黙のような間あい)の扱いにとまどう。(12)
- 緊張や、手のふるえ、などは、患者ばかりではなく、ふつうの人でもあることを教える。(13)
自己洞察瞑想療法(マインドフルネス心理療法)ではどうして治すか
視線恐怖が、上記のようなものであるから、注意集中法、不要機能抑制法、徹底受容法、価値的行動への意識転向などを訓練する自己洞察瞑想療法で、軽減できる人もいる。
視線恐怖の場合には、自分の心が、他者の視線、自分の視線の加害妄想・被害妄想に向かい、ついで、起きる感情や身体反応に関心がむかう。 そういう対象ではなくて、目前の価値的行為(仕事、会話など)への注意集中をする訓練を中心として、自動思考(視線、被害に関する妄想)への抑制法、衝動的な逃避の行為抑制、不快事象の受容などの訓練法などで、全般的に、不安への耐性を高める訓練を多くおこなう。たえず心が、価値実現的なもの、ことから離れることを抑制し、離れたら戻る心の功夫を繰り返し実際に行う。マインドフルネス心理療法では、認知傾向の修正ということを論理的に解決するというよりも、反応パターンの修正訓練を重視する。感情、逃避行動を繰り返すという価値崩壊的反応パターンではなくて、価値実現的行為に注意集中する反応パターンを訓練する。自動思考への気づき、中断、抑制も観察を継続して、つらいことを感じつつもとらわれず、価値実現への行動を並行処理するという反応パターンをとるよう日常生活で、訓練する。こういう訓練を重ねると、脳の過敏な部分がおさまり、機能低下している部分が活性化するという脳神経生理的な変化も期待する。
対人恐怖(視線恐怖も含めて)を軽減・治癒させるための心得は、次のような「自分」「心」を、日常生活の場で観察し、自分の心を実践的に知り、心の用い方を実践的に変えていくのである。
- 事実(見る、聞く、身体の感覚を感じる瞬間)の瞬間と、それを「言葉」にする瞬間、思考を続ける瞬間、その思考から起こる不安、怒り、よくうつなどの感情・気分、その感情・気分を見る瞬間などの、こころの様子を充分観察する。事実と思考、感情が違うことをよく観察する。事実(感覚)と思考は異なることを観察する。
- 意識が、呼吸を観ている時、自分の悩みの(ばつが悪い、失敗した、嫌悪すべき自己など)様子を描いてそれをとらえている時の違いを自覚する。自意識過剰な傾向があれば、「自分の今の様子」を「まな板」の上にのせて、第三者の眼のような位置から、「ふがいない、みっともない、不満だ、不安だ」と評価している。この心のステップはすばやく起きるので、自覚されにくい。しかし、(1)この時に、「第三者のような位置」に自分の心を置き換えてしまうこと、(2)自分の姿を「まな板」の上におくこと、(3)よい、悪い、の判断・評価をすること、(4)そのことによって、心が不安、とまどい、を起すが、それにふりまわされること、(5)肝心の価値的行為(仕事など)を観ていないこと、こういうことが十分に理解されていない。
「自分」「他人」の区別をしている時は、価値の対象から離れて、自分自身の状況の評価判断に移っていて、価値行動から注意がそらされて、その人の生き生きとした価値行動を抑圧する。はじめのうちは、自己意識を少なくすることから、実践する。「自分」を過剰にかわいがること、過剰に意識すること、自分を評価、判断するなどの、自己、主観側に注意が向かうことをやめることから始める。こういうことを、呼吸法や日常行動の中で、注意集中法、不要機能抑制法、本音観察、徹底受容法などを行いながら、実践的に訓練する。知識として理解するのではなくて、「そのようになる」という「習得・会得・身得」である。
- 心が「自分」に向かっている時は、「思考」であり、初心者にわかりやすく、言えば「内」「主観」に向いている。見る、聞く、感じる、などの時は、こころが、「外」「客観」に向いている。その違いを充分観察する。見る、聞く、感じる、だけの瞬間には、感情はないことが多いことを観察する。感情は、思考に移ってから起こることが多いことを観察する(例外がある。扁桃体など不安過敏になると思考に先行しなくても不安が起きることがある)。
- 呼吸を観ている瞬間には、思考(自分を思い描くことも、他人のことを気にかけることも含む)することがないことを観察する。
- 立って歩きながら、心の様子を観察する。運動する時は、それに意識を集中する。
マインドフルネス心理療法の技法の実践をして、このように自分の心の様子を正確に知るようになって、さらに、日常生活で、いつも、次のような注意をしていく。
- 患者には、たいてい、自分独自の本音(好き嫌い、評価基準)がある。
たとえば、
- 自分には重大な欠点があるという妄想的本音
- 周囲の他人のふるまいや行動などは、自分の不足があると評価しているからだと思う。
- 自分の欠陥は他人を不快にさせると確信する本音。
- 自分の欠点はぜひとも直すとか、とり除くべきであると確信する本音。
- 多くの人に普通に生じているできごとを「危険で最悪の事態である」考える本音。
このような独特の本音を観察する。しかし、帯状回情動領域、扁桃体の回路が過敏であるかぎり、理屈でわかっても、不安に負ける。行動的技法やマインドフルネスの技法を多用する。にがてな繰り返しの自動思考を抑制する訓練をして、にがてな対象が起きても観察しつづける訓練をすることによって、前頭前野、帯状回認知領域、海馬、冷静な対処法の想起、効果ある実際行動選択の回路を強化させるだろう。
- 自分のこと(過去、現在、未来の)をまな板の上にのせて、悪い、とつつく。自分のこころの動き、身体症状、行為などを振り返り、批判、後悔をしない(14)。種々の意識を観察する訓練を多用して、批判、後悔、予期不安などの自動思考に移らないように訓練する。
- 誰でもある自然な心の動きである本音を悪いことと思うのは誤りであることを自覚する。
- 見た、聞いた、感じた感覚をきっかけとして、思いをつなぐことをやめる。自動思考を抑制する訓練を行い過敏になっている前頭前野、帯状回情動領域、扁桃体の回路の活動を少なくするようにする。
- 不安、抑うつ、怒り、いらいら、などの感情、或いは、動悸、赤面、痛み、などの症状には、変化があり、何もしないでも、自然におさまっていくものもあることを観察し、よく、そのありさまを知る。
また、感情を起こす本音を観察する。
- これがよく観察、会得できれば、感情、症状が起こっていることに気がついても、すぐ、受け流して、注意(意識)を仕事、自分の今なすべきことに、向けていくと、感情、症状は、あっても、仕事、自分のなすべきことはできることを、充分に観察する。感情、症状は、放っておいて、価値的行動に集中する、気にならなくなることを、よく観察し、実行できるよう会得する。
- 他人の服装、言葉、様子を見て、聞いて、批評、批判にうつることをしない訓練をする。自分や相手を、自分の本音(評価基準、行動基準(ああすべき、こうすべき、こうしてはいけない、など)で縛り、批判する観念のあることを自覚し、こだわらず、柔軟になること。
上記を達成するために、グループ実習に参加して、呼吸法を行い、室内運動(注意集中しながら行う)を行う。早く治癒させるために、グループ実習の時だけでなく、自宅や職場、移動中にできる課題をたくさん実行する。
- 毎日、何分か、呼吸法を行う。呼吸、感覚を観察して、自動思考にうつらない心得を留意しながら行なう。
- 呼吸法を実践していない時、たとえば、歩く時、電車に乗っている時なども注意集中法、不要機能抑制法、徹底受容法などを実行する。
- 赤面恐怖、表情恐怖、視線恐怖は、苦痛に思う「対象」が異なるので、それぞれクライアント(患者)の症状に応じて心の観察を変えていく。一人の患者でも、課題を実践するうちに、苦痛の重点が変化していく(本音の気付き、本音への執著から離れることによる)ので、進捗によって、観察の対象、とらわれからの解放の重点をうつしていく。
こうして、「自分」、「心」の様子のありのままが、見えるようになり、見た・聞いた・感じた・思いが起こった事実から、みだりに自動思考にうつすことが少なくなり、自分や他者を自分の基準(本音)で評価・批判することを知り、意識を価値的対象に向けるようになることによって、不安感情が少なくなったり、あっても対処行動が変わり、自分の現状・心の反応を苦に思うことが少なくなる。
自己洞察が十分に実践できるようになり、自信がついてきたら、従来の回避状況、回避場面がまだ、残っている場合、やさしいことから、現実場面に出ていく。クライアントが、予期不安を起し、回避する行動・場所があれば、そのクライアントの場合について、「不安階層表」を作り、やさしいものから実行していく。
予期不安の思考、不安の感情、身体反応が起きても、すぐに逃避せずに、そういうつらい対象を感じつつも、心の一部で呼吸法などを行いながら、(つらいけれど、逃避せずに)なすべき行動(仕事、勉強、目的地に歩き続ける、人にあう)を続ける。
こうした自己洞察瞑想法によって、治癒した場合には、「自分」「こころ」についての洞察が深まっているので、他の心の病気(うつ病、パニック障害など)にもなりくくなっている。
このような指導法が向く人と向かない人がいることは言うまでもない。指導のように、実行できれば、3−6カ月くらいで、かなり軽くなるだろう。もちろん、完治までには、症状の深刻さと、本人のやる気と、この方法への適応性で違いが生じる。上に書いたことは、種々の「はからい」を排除する心得である。だが、指導者の指導なしに行うと、ちがった「はからい」をして、うまく行えないかもしれない。自分のことは、よくわからないものだから、自学自習ではよくわからないかもしれない。何回かは、指導者の指導を受けるのがよいであろう。
(注)
- (1)内沼幸男「対人恐怖」講談社現代新書、29頁。
- (2)同上、35,37,81,110頁。
- (3)同上、72-85頁。
- (4)同上、85,128頁。
- (5)同上、92-93頁。
- (6)同上、92頁。マインドフルネス心理療法は、禅にヒントを得て開発された心理療法であるから、禅と似ているところもあるが、同じではない。禅は、心の病気を治すことを目標とはしていないで、宗教的な目標(悟りとか、坐禅すること自体、など宗派の思想に裏づけられた目標)がある。だが、マインドフルネス心理療法は、宗教的な目標ではなくて、心の病気の治癒や予防が目標である。寺で行なう従来の坐禅をこころみて、治らない人もいただろうが、目的がないという坐禅か、参禅者の勝手なやりかたで坐らせる坐禅が多く、それでは心の病気の人には、充分な成果があがらないのは、当然である。自己洞察瞑想療法では、目標や、実行方法を詳細に、説明する。
- (7)同上、141-142頁。
- (8)同上、142-143頁。
- (9)同上、142頁。
- (10)同上、144頁。
- (11)同上、146頁。
- (12)同上、152頁。
- (13)同上、162頁。
- (14)エゴイズムの人が、自分の言動を振り返り反省すべきことはいうまでもないが、心の病気の人は、自分の様子をかたよった観念(本音)で評価し、自己嫌悪の思考を繰り返す傾向があるので、自己否定的な批判をいさめる。もちろん、障害を維持してしまう依存行為、紛らす行為などは、よく観察して、行動は価値的なものに変えていく。